ピラミッド・タウン(Pyramid Town)

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≪緊迫のエジプト情勢≫

2011年2月のエジプト革命「アラブの春」で手に入れた民主主義は、これから一体どこへ向かおうとしているのでしょうか?

2013年7月、エジプト軍によってムルシ大統領が拘束され、憲法も停止しました。文民大統領を軍が武力を盾に排除したのです。

民主化運動「アラブの春」によるムバラク独裁政権の退陣後、エジプト初の民主的な大統領選挙からまだわずか1年余りです。

ムルシ大統領排除後、7月4日にはカイロの最高憲法裁判所で最高憲法裁判所長官のマンスール氏が暫定大統領として就任を宣誓しました。

軍による、事実上のクーデターから2日が経過したエジプトでは、大統領を解任されたムルシ氏の支持派と軍などの衝突が続き、これまでにエジプト全土で、これまでに30人が死亡、数百人が負傷したといいます。(首都カイロでは5日、ムルシ氏が拘束されているとの情報があった大統領警護隊の建物の前に、モルシ氏の支持派が集まり、軍と衝突し、デモ隊の少なくとも3人が死亡。また、ムルシ氏の退陣を求めてきた反対派が集まるタハリール広場の近くでは、ムルシ氏の支持派との間で衝突が起き、軍が出動する事態になりました。このほか、第2の都市、北部のアレクサンドリアでも12人が死亡。)

ムルシ氏の出身母体であるムスリム同胞団のトップは、抗議を続けるよう支持者に呼びかける一方で、エジプト当局は、同胞団のNo.2を逮捕するなど、力で抑え込む方針で、緊迫した状況が継続しています。

7月6日、エジプトの国営中東通信はマンスール暫定大統領がノーベル平和賞受賞者で国際原子力機関(IAEA)前事務局長のエルバラダイ氏を暫定首相に任命し、組閣を要請したと伝えました。ただ、AFP通信は大統領周辺の話として、有力候補ではあるが、まだ正式には任命されていないとしています。世俗、リベラルの主要勢力でつくる「救国共同戦線」を率いるエルバラダイ氏は、国際的な知名度が高く、前回の大統領選で有力候補と目されていましたが、最終的には出馬を断念した経緯があります。

マンスール暫定大統領は9日、暫定政権の副大統領に、リベラル派指導者のエルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長を任命した。首相には元財務相の経済専門家ビブラウイ氏を任命、暫定内閣の組閣を命じた。

ムルシ氏の支持母体であるムスリム同胞団らによる抗議デモと軍や警察との衝突が続いていて鎮静化の目途は見えてきません。

エジプト治安当局は8月14日朝、首都カイロでムルシ前大統領の支持派が続けていたデモの強制排除に踏み切りました。治安部隊とデモ隊との衝突では激しい銃撃が行われており、7月3日の軍のクーデター以来、最悪の惨事となりました。暫定政権は強制排除に着手後、全土に14日16時から1ヵ月間の非常事態宣言を行いました。内容はデモの禁止や治安当局による令状なしの拘束などとみられるという。またカイロを含む14県で19時から翌朝6時までの外出禁止令も発出されました。市民に実弾が発射され、ブルドーザーが投入され、実力行使に向かう暫定政権側の強硬な姿勢が読み取れます。衛星放送アルジャジーラは暫定政権のエルバラダイ副大統領が辞意を表明したという。(強制排除に反対していたエジプト暫定政権のエルバラダイ副大統領が辞意表明。フランス公共ラジオ。)

こうした状況を踏まえ、外務省は8月17日付で、エジプト全土への渡航情報を「渡航の延期をお勧めします。」から「渡航の延期をお勧めします。(滞在中の方は事情が許す限り早期の退避を検討してください)」に引き上げました。また「今後、この地域への渡航や滞在を予定している方は、どのような目的であれ渡航を延期されることをお勧めします」と呼び掛けました。やむを得ない理由で渡航、滞在する場合は、不測の事態に巻き込まれないよう在エジプト日本大使館のウェブサイトや報道などから最新情報の入手に努めるとともに、緊急時の連絡先などを必ず日本大使館に連絡するとともに、夜間外出禁止時間は外出せず、それ以外の時間帯も極力外出を控えて自宅など安全な場所に退避し、やむを得ず外出する場合は単独行動を避けて適切な安全対策を講じるように、としています。

エジプトの裁判所は8月21日、2011年の反政権デモで辞任に追い込まれ、デモの弾圧や汚職など複数の罪で起訴されていたムバラク元大統領(85)の保釈を認めました。国営中東通信によると、これが最終決定。ムルシ前大統領支持派などは「旧体制、強権政治時代への逆戻りだ」と反発を強めるものとみられ、緊張がさらに高まるのは必至の情勢。ムバラク氏の出身母体である軍部がクーデターでムルシ政権を排除した7月以降、エジプトではムバラク時代と同様に軍中心体制への回帰を目指すような動きが続いています。ムバラク氏は2012年6月、反政権デモ隊の殺害を命じたとして一審で終身刑判決(求刑・死刑)を受けましたが、最高裁に相当する破棄院は2013年1月、再審理を命じました。エジプトの刑法上、未決勾留は最高で2年間で、ムバラク氏の主任弁護人は「勾留期限を過ぎた」として保釈を請求していました。8月21日の審理の対象は、政府系紙アハラムを発行する公営企業から、贈り物を受け取ったとされる汚職事件での保釈請求でした。起訴された複数の罪のうち、デモ隊殺害命令事件については2013年4月に、別の汚職事件については同8月19日に保釈決定が出ていて、残るのはこの事案だけとなっていました。

エジプトで軍部によるクーデターを受け、憲法改正案を検討していた専門家委員会は8月20日、宗教に基づいた政治活動の禁止などを盛り込んだ憲法改正草案をマンスール暫定大統領に提出しました。草案通りに憲法が改正されると、ムルシ前大統領の出身母体であるイスラム組織・ムスリム同胞団の系列政党「自由公正党」などイスラム主義政党の活動が禁止される可能性があるという。政府系紙アハラム(電子版)が報じたところによると、改正草案では「宗教に基づく政党や政治的活動は全て禁止する」と、旧憲法にあった宗教政党の禁止を巡る規定をさらに厳格化。同胞団がキリスト教徒を副党首に迎えて「国民政党」の形で結成し、議会で多数派を占めた自由公正党や、イスラム厳格派などによる政党が禁止されることになる可能性が高いという。一方、これまでの憲法にあったムバラク政権時代の与党・国民民主党幹部の政治活動を禁止する条項は削除され、2011年の反ムバラク政権デモを主導した青年グループなどが反発するとみられています。草案は今後、各界の代表者50人によって協議され、最終案が国民投票にかけられます。これまで暫定政権に協力姿勢を示してきたイスラム厳格派のヌール党なども反発する可能性があるといいます。

エジプト暫定政権によるデモ隊の強制排除で多数の死者が出ているムルシ前大統領支持派は8月21日、「殉教の金曜」と称して軍のクーデターに抗議する活動(反軍部・反暫定政権デモ)を23日に全土で展開するよう呼びかけました。暫定政権は非常事態宣言を出して厳戒態勢をとっており、声明通りデモが実施されれば大規模な衝突につながる恐れがあります。ロイター通信が伝えたところによると、8月14日の大規模な強制排除の直後に実施された16日(金)の「怒りの金曜」では、治安部隊がデモ隊に発砲し100人以上が死亡し、数百人がカイロ中心部のモスクに閉じこめられ、強制的に排除されたという。治安部隊はその後も各地に装甲車両や武装した兵士を配置し、検問を設けるなどして抗議活動などを封じ込めているそうです。金曜日はモスクでイスラム教の集団礼拝が行われ、集まった人々がそのまま抗議に流れ込む可能性があります。ムルシ派は声明で「軍のクーデターを打倒するため我々は路上にとどまり続けるだろう」と訴えています。もしデモが行われれば再び大規模な衝突に繋がる恐れもあります。一方、暫定政権は8月21日に裁判所が保釈を決めたムバラク元大統領について、「保釈後も自宅軟禁に置かれる」との声明を発表しました。警備のしやすい軍病院に入院するか、政府施設内で生活することになる可能性が高いという。こうした人目に触れさせない措置を取るのは、ムバラク氏の保釈に「旧体制への回帰だ」と激しく反発しているムルシ派や、暫定政権に協力姿勢をとってきた青年グループなどからも不満が出ているため、こうした批判をかわすことが狙いとみられます。

2011年の反政権デモで失脚したムバラク元大統領が、8月22日に保釈されました。ムバラク氏は22日、カイロ近郊の拘置所を出てカイロ南部の軍病院に入りました。暫定政権は「軟禁状態に置く」としていて、保釈に反発する市民感情に配慮したとみられます。エジプトの刑法上、未決勾留の上限は2年となっており、司法関係者は今回の保釈を「法に従った行為で、政治状況は関係がない」としています。ムバラク氏は高齢で健康問題を抱え、デモ隊への発砲命令事件などの公判が今後も続くうえ、ガマル元与党政策委員長ら二人の息子も拘束中となっており、ムバラク氏が今後、政治的な権限を取り戻す可能性は低いとみられています。しかし市民の間では「ムバラク政権を支えた軍が復権したから保釈された」という見方も広がっているといいます。

2011年の反ムバラク政権デモを主導した世俗・リベラル派はその後分裂していて、青年組織「4月6日運動」の主流派グループは22日に左派団体と共にムバラク氏の保釈抗議デモを行うと発表しましたが、その後に撤回。4月6日運動の広報担当者によると「ムバラク氏の釈放には賛成しないが、ムスリム同胞団のデモ隊との衝突を避けるため」という。4月6日運動は、現在は暫定政権を支持する立場を取っていて、ムルシ政権と対立した経緯があります。一方、暫定政権にもムスリム同胞団にも反発する分派である「4月6日運動・民主戦線」は22日にカイロでデモを始めたという。

エジプトの国営テレビによると、同国の司法委員会は9月2日、ムルシ前大統領の出身母体で、非政府組織(NGO)として登録されているイスラム組織ムスリム同胞団の認可を取り消し、解散を命じるよう裁判所に勧告した。7月のクーデターの後、軍に拘束されているムルシ氏は、2012年12月に発生した自身の支持者と反対派との衝突に際し殺人を扇動した疑いで同胞団幹部14人と共に訴追されていて、軍主導の暫定政権が同胞団への締め付けの動きを強めている模様。ムスリム同胞団は1928年にエジプトで創設されたものの、1954年に非合法化。旧ムバラク政権下では政治活動が一部黙認され、事実上の最大野党だった。その後2011年のエジプト革命でムバラク政権が崩壊した後、合法化され、ムルシ前政権下の2013年3月にNGOとして登録された経緯を持つという。これまでムルシ派のデモ活動などを報じてきた衛星放送アルジャジーラのエジプト情勢専門チャンネルについても、国内活動が禁止されました。

9月12日、マンスール暫定大統領は「非常事態」を2ヵ月延長すると発表。暫定政権は8月14日、ムルシ前大統領支持派の抗議デモに対する治安部隊の強制排除の後、全土に1ヵ月限定で非常事態宣言をしていましたが、その後もムルシ派のデモが継続され、支持母体であるイスラム組織「ムスリム同胞団」メンバーの大量逮捕も続いています。

9月13日、ムルシ前大統領派デモが強制排除され、600人以上の死者が出てから1ヵ月、各地で「殉教者に忠誠を誓う金曜日」と名付けられた抗議デモが行われ、全国で数万人が参加。この1ヵ月で最大規模となった。デモはムルシ氏の出身組織のムスリム同胞団が「平和的な抗議」として組織し、カイロや北部のアレクサンドリアなど各地でそれぞれ数千人規模となった。カイロの集結場所の一つとなったインババ地区のモスクでは、3千人以上が集合。金曜礼拝の後、午後1時ごろからムルシ前大統領の支持者らは通りに出て強制排除に対する抗議や暫定政権への不満を訴え「軍政反対」「正当性を取り戻せ」などと声を上げた。女性も参加し、スローガンを叫びながら大通りを歩いた。

9月23日、国営中東通信などが伝えたところによると、左派政党「国民統一進歩党(タガンマア党)」の弁護士が、国民を暴力から保護するとの理由で、軍のクーデターで大統領職を解任されたムルシ前大統領の支持母体「ムスリム同胞団」の解散を求めていた訴訟をめぐり、カイロの裁判所は、同胞団のすべての活動を禁止し、資産を凍結する判決を下した。モハメド・アルサイド裁判長は判決で「裁判所は、ムスリム同胞団とその非政府組織の活動、同胞団から派生するすべての組織の活動を禁止する」と述べた。判決を受け、暫定政権が同胞団の解散命令を出すかどうかなどが今後の焦点となる。判決では、ムスリム同胞団の政治組織である自由公正党については特に言及しなかったが、同胞団側は今回の司法判断を受け入れず、控訴するものとみられる。判決は同胞団について、「市民を抑圧して生活環境を悪化させ、国家の治安を乱し、政治的利益のために宗教を利用した」などと断じて、すべての活動を禁じた。また、同胞団から金銭的な支援を受ける団体の活動も禁止。凍結した資産については政権が設置する委員会が管理するとし、エジプト政府に対し、ムスリム同胞団の資産差し押さえとその管理を命じました。提訴の背景に軍を後ろ盾とする政府の働きかけがあったかは明らかではないが、今回の判決はムスリム同胞団に対するここ数十年で最も厳しい弾圧措置といえる。

エジプト紙アルアハラム(電子版)などによると、2014/03/24、中部ミニヤ県の裁判所は、前年のクーデターで解任されたムルシ前大統領を支持するイスラム組織ムスリム同胞団のメンバーら529名の被告に対して、警官殺害や警察署襲撃などの罪で死刑判決を下した。近代以降のエジプトで最大規模の死刑判決とされる。軍主導のクーデター後に成立した暫定政権が同胞団に徹底弾圧で臨む姿勢が一層鮮明になった。裁判所は被告側に弁明をさせず、3/22の初審理に続く2回目の審理でのスピード判決を言い渡した格好だが、被告側にはまだ上訴のチャンスが残されているようだ。

2014/11/29、裁判所の判決公判において、治安部隊による発砲などで数百人が死亡した反政府デモに関して、参加者の殺害を指示した罪などに問われていたムバラク元大統領に対して、無罪が言い渡されました。ムバラク元大統領は、アラブの春によって辞任に追い込まれた後、この件に関する裁判で、おととし終身刑を言い渡されましたが、検察側、弁護側双方の申し立てを受けて、審理をやり直す裁判が行われてきました。また、元大統領が併せて起訴されていた天然ガスの輸出にまつわる汚職の罪についても無罪判決となりました。ムバラク元大統領の今後については、2014年5月に、公金横領罪で禁錮3年の実刑判決を受けており、検察側が上訴できることから、カイロ郊外の軍の病院での拘束が続く見通しだという。

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コメント

    • k-co
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    小池百合子衆議院事務局によると、小池百合子元防衛大臣(日本エジプト友好議員連盟会長)は、2015年5月3日にエジプトを訪問し、エルシーシ大統領(Egyptian President Abdel Fattah el-Sisi)と大統領府で会談した。

    約1時間にわたる会談では、主に教育、防衛分野における日本とエジプト両国の協力関係について話し合われた。小池議員は会議の冒頭でカイロ大学日本語日本文学科40周年弁論大会の開催について紹介し、両国での教育分野での協力強化についで言及した。エルシーシ大統領からは、日本人の謹厳さと規律を守る国民性を「歩く“コーラン”」と表現し、信仰が異なってもコーランの教えを実践していると賛辞の言葉を述べた。

    また、エルシーシ大統領はテロ対策の観点からも教育が重要であるとの認識を示した。小池議員も大統領の認識に賛同し、日本の優れた初等教育の方面からの協力が効果的であり、喜んで協力する準備があるとの発言を行った。

    防衛分野については、小池議員はエジプトの安定が中東地域、ひいては世界の安定の為にきわめて重要であると述べ、日本からは改正された法律の範囲内で防衛協力が可能である旨を述べた。エルシーシ大統領からは日本との防衛協力について、エジプト政府内に特別委員会を設置し、日本との防衛協力について検討段階にある旨の発言を行った。

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    • k-co
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    エジプトのモルシ元大統領に死刑判決

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    • k-co
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    国立カイロ博物館所蔵 黄金のファラオと大ピラミッド展

    本展のテーマは、「ファラオとピラミッド」です。
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    開催期間 2015/10/16(金)~2016/1/3(日)
    会場 森アーツセンターギャラリー (東京都)

    • k-co
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    ツタンカーメン王墓の奥に構造物: 古代エジプト三大美女の墓発見か?

    エジプトのツタンカーメンの墓で新たな発見です。ツタンカーメンの墓の壁の奥に人工的な構造物があることがわかり、これまで見つからなかった王妃の墓ではないかと期待が高まっています。
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    「この壁の向こう側に空洞反応が。(約2メートル奥に)部屋か棺がある可能性がみえてきた」(鈴木広勝調査員)
    調査団では、奥にあるのはツタンカーメンの義母のネフェルティティ王妃の墓ではないかとみています。
    「(Q この奥には何が?)この壁の裏には、ネフェルティティ王妃の墓が古代から手付かずのまま残されていると思われる」(ニコラス・リーヴス調査団長)
    ネフェルティティ王妃はドイツのベルリンに胸像があって、クレオパトラと並ぶ古代エジプト三大美女のひとりともいわれています。
    今回の調査が世紀の発見につながる可能性もあり、王家の谷では期待が高まっています。ツタンカーメンの墓の奥だけに、今後どのように発掘を行うかなどが慎重に検討されるとみられます。(2015年11月28日)

    • k-co
    • 投稿日 (Posted on):

    2017年9月16日、エジプトの破棄院(最高裁に相当)は、2013年に軍の介入で失脚、拘束されたムルシ元大統領が、大統領在任時にカタールに国家機密を漏らしたとして、一審の終身刑判決を支持する判決を出した。これにより終身刑が確定した。エジプトの終身刑は禁錮25年に当たる。
    ムルシ氏は、大統領在任中に反政府デモを暴力で排除したとされる別の裁判で禁錮20年が確定している。

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