ピラミッド・タウン(Pyramid Town)

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2013年4月20日放送「世界ふしぎ発見!」(第1270回)は、「ピラミッドに秘められた古代の英知 〜エジプト・フランス〜」(ミステリーハンター:竹内 海南江(かなえ) さん)でした。

 

 

フランスのパリに建設されたノートルダム大聖堂よりも昔、人類史上、最も大きな建造物が、重さ2.5tの石を300万個も積み上げて作られた「クフ王のピラミッド」でした。

クフ王のピラミッドは4600年前にわずか20年間で建造されたといわれ、ピラミッド建築の頂点として「ギザの大ピラミッド(Great Pyramid of Giza)」と呼ばれます。

このギザの大ピラミッドが誇る高さ147mは、14世紀初めまでの3000年以上もの間、世界で最も高い建造物であり続け、英国のリンカーン大聖堂(160m)が建てられるまで破られることがありませんでした。

 


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ピラミッドとは、何なのか?

エジプト考古学者、歴史学博士の河江肖剰(かわえゆきのり)氏の返答は「王の墓。世界が生まれた最初の場所。宇宙の中心。」
Yukinori Kawae is a Archaeologist, Egyptologist, PhD.

真上から見ると1辺の長さ230mの四辺に見えるが、実は8面だった。

真東から光が当たる瞬間、側面が真ん中で窪んで、8面に見えるのだといいます。

 

1983年からピラミッド外壁に登ることが禁止されていますが、今回はフランスの建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏の内部螺旋回廊説を検証するため、特別に登頂が許可されました。

尚、今回の取材は2011年1月にカイロのタハリール広場で起こったエジプト革命で中断していて、2年ぶりの撮影再開だったそうです。

 

スタジオにピラミッドの底辺で使われている石のレプリカ

1辺が1.5m、重さ2.5t(乗用車の2台分以上の重さ)

 

建造に使用された300万個の石のほとんどが採石されたとされる石切場にはお墓があり、カフラー王の時代のものです。

マーク・レーナー博士の説によると、傾斜路を作って石を運搬し、ピラミッドの壁面に外部傾斜路を作り、組み上げられたといわれます。

ジャン・ピエール・ウーダン氏の内部螺旋回廊説によると、ピラミッドの内部に螺旋状の傾斜路を作り、角で滑車を使用して石材を方向転換させていたのではないか、といわれます。

壁面を横に延びる白いラインを辿ると北東の角の部分に窪みが存在します。

 
 
人数制限があるため河江さん、カメラマン、コーディネーターが登頂。

武道で鍛えているという河江さん、わずか15分で地上から高さ100mの窪み部分へ到着。

窪みは4.4m×5.5mで、内部へ続く穴が空いています。

内部へ入ると2.9m×3.3mほどの空間が広がっていました。

「窪みの広さが狭いため、滑車のような機構を使い石材の方向転換を行うことができたかどうかは不明」

この空間の南側、西側に向いた壁には石がぎっしりと詰められている。

「先に続く通路があるとは思えない」

下りは7分とさらに身軽でした。

河江さん「外観は整然と石積みされているが、モルタルで固めたり、落書きが残っていたり、内部ではいかに早く建造するかという当時の作業者の人間らしい一面が垣間見られる」

フランスの重力測定調査では内部に螺旋状の回廊を示すデータが得られたそうです。


2015年3月14日放送「世界ふしぎ発見!」(第1351回)「日本初! ピラミッド登頂!!! 201段全段計測!」
7合目の窪みの部分を再び訪れた河江さんは感慨深げです。彼の分析によると、ピラミッドの内部は壁で仕切った空間の中に、瓦礫とかモルタル、砂などの詰め物を入れて(パッキングして)、外観から見えない内部を満たしているのだろうという。石材が整然と積み上げられている壮観な外観とは異なり、ピラミッドの内部というのは、実はごちゃごちゃの状態になっているのです。このように建物の内部構造に充填剤を使うのは、エジプトでは特に珍しくない建築工法であり、当時もそれが利用されていたのではないか、と推察しています。外から見えない内部はできるだけスピード重視で作り上げようとした、人間臭さが垣間見られる部分ですね。また、ピラミッドに積み上げられている石材も、石切り場において切り出すことができた石灰岩の地層(マール層と呼ばれる柔らかい地層の間にサンドイッチされている)の厚さが、(地層が造成された)年代によって異なることから、それが石材の大きさがバラバラになっている原因だと、河江さんは結論づけています。
ちなみに、ピラミッドの頂上に垂直に突き出した棒は、鉄製ではなく、木製の棒です。また、この棒が立っているのを見て、事情を知らない人が「避雷針だという人がいますが、(これは避雷針ではなく)、測量の道具です。」と河江さんが説明してくれました。完成当時、まだ頂上が残っていた部分の名残を模ったものでもないそうです。

 

【クイズ1】
大ピラミッドに付けられた名前は?
→クフ王の地平線と呼ばれていた
アケト・クフと呼ばれた。
アケトは「地平線/光り輝く場所」という意味。

渡部陽一さん「アラブの春を取材した」

 

 

中央の王の間(玄室)に続く大回廊を取材。

大回廊はピラミッド内部で一番大きな空間です。

王の間の石棺の縁には穴が空けられていて、突起の付いた蓋を載せてスライドしないようにしていた跡が残っていました。

「実際には蓋もミイラもあったのだろうが、盗掘によって破壊されたり持ち出されてしまったのではないか」

 

王の間の上には、重量軽減の間と呼ばれる空間が乗っています。

重量軽減の間、第1の部屋へ

ヨーロッパ人が残した落書き

彼らがダイナマイトで突破された穴を通って第2の部屋へ

1つ37トン〜58トンもの重量がある石材

第3の部屋へ

古代の落書き

第4の部屋へ

ハヤブサ(ホルス)
メジェドゥ(クフ王の別名)

アペル(集団)

カルトゥーシュが王の名前を囲んでいます。

カルトゥーシュの隅の部分が、重なった別の石材の下に入り込んで見えなくなっていることから、ピラミッド建造前(積み上げられる前)に書き込まれた文言であることがわかります。

搬送せよ

第5の部屋(最上階)へ

クフ王は輝く(グループ名)

河江さん「このように、誰が運んだかを残す習慣は、名古屋城の城壁に残されているような刻紋(こくもん)と似たような意味を持つもの」

名誉を誇ったものであるらしいです。

コウモリが飛んでいる。

上方の石積みから掛かる重量を拡散させる場所が重量軽減の間であり、第5の間の三角屋根が受けて分散しているそうです。

5層にしている理由は、1層の場合だと受けた重さが分散されたときに、直接大回廊に掛かってしまうため。

大回廊を守るために、櫓状にして高さを稼いでいるといわれます。

 

大回廊の役割は?

ウーダンさんの説では、大回廊は重りをつけた滑車を走らせるための空間だったといわれています。

エッフェル塔のエレベーターで使われている釣り合い重りシステムのようなものであったのではないかということです。

壁には台車で削られたような跡、潤滑油を流した跡などがあり、天井は上から蓋をしたように見えます。

 

【クイズ2】
このヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)が表す仕事とは?
w← (棒の先にかぎ爪のようにW(「W」を右に90度寝かせた形)が付いている)
→パン焼き
窯から取り出す時に使用する棒状の道具を意味する

 

 

ピラミッド・ビルダー(pyramid builders)と呼ばれるピラミッド建築に携わっていた専門労働者、技術者集団が住んでいた街ピラミッド・タウン(Pyramid Town)があったとされています。ギザのピラミッドを築いた人々が暮らしていた古代都市をピラミッドタウンと呼びます。

集合住宅で平屋なら2000人、2階建てなら4000人規模。

カラスの壁を通って労働に向かいました。

労働者(ピラミッド・ビルダー)たちは羊・山羊の肉を食べていたようです。

貴族の邸宅跡も見つかっています。

こちらは大きな邸宅で、仔牛の肉を食べていたようです。

また、一帯からはパン焼きの際に用いられた土器が大量に出土しているそうです。

パンの焼き方は土器を上から被せて焼き上げる「蒸し焼き」で、土器は使い捨てだったようです。

「彼らは当時いいものを食べていた」

また、燃料は家畜のフンを乾燥させたものではなく、ほぼ99パーセントがナイルアカシアの炭を利用していたそうです。

 

機械を使ったような正確な石材加工技術

どんな道具で直線の断面や円筒形の穴を空けたのか?

エジプト考古学博物館には当時使われていた素朴な道具が展示されています。

河江さんの説明によると「実験考古学では砂を吹き付けながら銅のノコギリを挽いたといわれています。非常に地道な作業で時間がかかります。そもそも当時と今とでは、時間の流れがまるで違うんですね。

例えば、王の間にある花崗岩(御影石)の石棺を作るのにかかった時間は、28000時間(つまり24時間365日ぶっ通しで作業したとしても3年以上かかった計算になる)といわれているわけですから」

 

【クイズ3】
クフ王が労働者のために作った世界最古の施設とは?
→ダム
労働者の飲料水を確保するためのダムだったが、鉄砲水に襲われて破壊されてしまったそうです。

 

ギザの大スフィンクスの謎についてはこちらの記事を参照ください。

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コメント

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    • k-co
    • 投稿日 (Posted on):

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