ダ・ヴィンチの故郷 ヴィンチ村(トスカーナ)

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Mona_Lisa

2013年5月11日放送「世界ふしぎ発見!」(第1273回)は、「最新ダ・ヴィンチ・ミステリー モナ・リザは2人いる」(ミステリーハンター:坂本三佳さん)でした。

 

 

イタリア・ルネサンス期の巨匠であり万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

彼が残した「モナ・リザ」は、フランス・パリのルーブル美術館が収蔵する35万点の作品の中でも別格の至宝です。

そんなモナ・リザに今新たな展開が!

 

フランス・パリにある美の殿堂、ルーブル美術館。

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年間1000万人が訪れる世界一人気の美術館です。

南のグランドギャラリーは、ルネッサンスを代表する作品がずらりと並ぶ大回廊です。

グランドギャラリーの一番奥にあるのが、孤高の天才レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」です。

坂本さん「思ったよりも小さな絵ですが、奥行きがある。表情が何とも言えない。」

一言では言い表せない謎めいた微笑み。見る者を惹きつける不思議な魅力を感じます。

 

歴史上、「モナ・リザ」の絵が海を渡ったのは、1962年のアメリカと1974年の日本のわずか2回だけです。

当時、東京国立博物館には150万人が訪れたそうです。

第64・65代 内閣総理大臣 田中角栄氏

時代や洋の東西を超え、なぜ「モナ・リザ」は人々を魅了して止まないのだろう。

解かれざる謎
モデルは一体誰なのか
微笑みは何を意味するのか
ダ・ヴィンチはなぜこの絵を生涯手放さなかったのか

 

2012年9月27日、スイスに眠っていた、ダ・ヴィンチが描いたというもう一枚の「モナ・リザ」が公開されました。

これが本物であれば、ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」を2枚描いたことになります。

もし「モナ・リザ」が2枚存在すると考えれば、謎の多くに説明がつくのだそうです。

今回はスイス、イタリア、フランスを取材。

 

もう一枚の「モナ・リザ」があるのはスイス西部にあるジュネーブ。

モナ・リザ財団という10数名の資産家が集まって作った団体によって所有されています。

絵が保管されている場所を明かさないという条件で特別に取材。

金庫室のような重厚な扉と何重にも施されたセキュリティの先には、6畳ほどの小部屋。

ベージュ色のカーテンの先に、もう一枚の「モナ・リザ」が保管されていました。

坂本さん「ルーブルで見た絵よりもはるかに若く感じます。肌もすごく白くて、唇の紅の色も赤く鮮やかに見える。」

モナ・リザ財団副理事 デイヴィッド・フェルドマンさん「この絵は、1913年にイギリス・ロンドン郊外のアイルワースで見つかったことから『アイルワースのモナ・リザ』と呼ばれてきました。その後、スイスの地下金庫の中に眠っていたこの絵の調査を我々の財団で行うことになり、40年研究した結果、ルーブルより先にダ・ヴィンチが描いたもう一枚のモナ・リザであると判断するに至ったのです。」

 

スタジオにはルーブルの「モナ・リザ」、アイルワースの「モナ・リザ」、2枚のレプリカ。

アイルワースの「モナ・リザ」は、縦84.5cm×横65.7cm

ルーブルの「モナ・リザ」は、縦77cm×横53cm

アイルワースの「モナ・リザ」は、ルーブルの「モナ・リザ」より大きく、その差は一回り以上も異なり、また、ルーブルの「モナ・リザ」には無い、両脇に黒い”柱”が描かれています。

もう一枚の「モナ・リザ」である根拠は?

デイヴィッド・フェルドマンさん「まずこの絵に使われている顔料を分析した結果、16世紀のイタリア・フィレンツェで使われていたものと判明しました。また(コンピュータ処理で)人物だけを切り取って二つのモナ・リザを比べると、目・口・あごの位置までぴったり一致します。これはダ・ヴィンチが同じ構図で二枚絵を描いた証拠と言えます。」

また、同時代の画家ラファエロ・サンティ(1483〜1520年)は「モナ・リザ」を見て衝撃を受け、思わず模写したとされていて、その絵には背景にアイルワースの「モナ・リザ」と同様に両脇に柱が描かれています。

ラファエロの模写の背景に、ルーブルの「モナ・リザ」には無い”柱”が描かれていることは長らく謎とされてきました。

デイヴィッド・フェルドマンさん「ラファエロが柱を描いたのは、こちら(アイルワースの「モナ・リザ」)の絵を模写したからだと考えれば、おかしな話ではありません。ダ・ヴィンチは最初にアイルワースの「モナ・リザ」を描き、その後に同じ構図でルーブルの「モナ・リザ」を描いたと私たちは考えています。」

 

イタリア中部・トスカーナ州にあるフィレンツェへ

1503年、ダ・ヴィンチはこの街で「モナ・リザ」を描き始めたといわれています。

当時51歳だったダ・ヴィンチは画家として円熟期を迎えていました。

ルネサンス期を代表する天才は、科学者、建築家、発明家としても名声を築いていました。

当時、ダ・ヴィンチのアトリエがあったのが、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。

アイルワースの「モナ・リザ」がダ・ヴィンチによって描かれた可能性を示す重要なものがあるといいます。

大きな扉の向こうがダ・ヴィンチのアトリエだった部屋です。

現在、建物の一部が警察学校として使われているため、普段は立ち入り禁止になっているそうです。

坂本さん「天井が高くて広い部屋です。」

美術史家ポリーン・プルネーティさん「ここは元々、ローマ法王の執務室として作られた部屋です。当時法王がこの街に来る予定がなかったので、特別にアトリエとして使うことが許されていたのです。」

この部屋には回廊に繋がるもう一つがあります。

広い廊下には中庭に面して何本もの柱が建っています。

この柱がアイルワースの「モナ・リザ」の両脇に描かれている柱にそっくりなのです。

基壇部分を比べてみても非常によく似ています。

ポリーン・プルネーティさん「当時はこのような古代ギリシャ風の丸い柱を使ったゴシック建築が流行っていたんです。でも丸い柱はこの教会の中では、ここ(中庭に面した2階のバルコニー)にしかありません。」

 

【クイズ1】
ダ・ヴィンチの手稿のインクに使われたイタリアのあるものは?
→イカスミ

手稿とはノートのことです。

スタジオには鳥の飛翔に関する手稿のレプリカ。

手稿を描くために使用したインクの材料は、イカスミ。

ベリッシモ・フランチェスコさん「イカスミとインクはイタリアでは同じ単語です」

イタリア料理にお馴染みのもの。

薄くスライスしたタマネギとバジルの葉、エビをオリーブオイルで炒め、白ワインを加えます。

しっかり具に火が通ったら、パスタを投入。

パスタと具をなじませたらイカスミが登場。

イカスミが多く採れるコウイカは、イタリア語でセッピアと呼ばれ、これがセピア色の語源なのだそうです。

イカスミのインクは、古代ローマ時代には広く使われるようになっていたといわれます。

今、東京都美術館(上野恩賜公園内)には、イタリア・ミラノにあるアンブロジアーナ図書館に保管されているダ・ヴィンチの手稿「アトランティコ手稿」が来ています。

ミラノ時代の最高傑作の一つ「音楽家の肖像」も初来日。2013年6月30日まで、「レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像」が開催中です。

光や影の映り方を研究したものや、巨大な弓矢を発射する機械を考えているものなど様々です。

ダ・ヴィンチの貴重な直筆を目にすることができます。

 

 

≪500年の謎 「モナ・リザ」のモデルの正体に迫る≫

「モナ・リザを描くレオナルド・ダ・ヴィンチ」チェーザレ・マッカーリ 1863年

2007年、ドイツ・ハイデルベルク大学図書館で発見されたフィレンツェの役人のメモには「当代の巨匠であるレオナルド・ダ・ヴィンチが聖アンナの肖像とリザ・デル・ジョコンド(夫人)を制作中。1503年10月」という記述が書かれていました。

このことから、「モナ・リザ」のモデルは、フィレンツェ絹商人の妻であるリザ・ゲラルディーニであることがほぼ特定されました。

ところが、当時リザ夫人は24歳だったといいますが、ルーブルの「モナ・リザ」はそれよりももっと年上に見えることから、リザ夫人をモデルとする説には異論も唱えられています。

しかし、もしリザ夫人をモデルに描いたのがアイルワースの「モナ・リザ」だとすれば、リザ夫人の年齢とも合致します。

リザ夫人の子孫を訪ねてイタリア・トスカーナ地方サンジミニャーノへ。

モナ・リザ14代目の子孫ジローラモ・グイッチャルディーニ・ストロッツィさんが満面の笑みで迎えてくれました。

ジローラモ・グイッチャルディーニ・ストロッツィさん「最近じゃ庭に置いておくと盗まれるから(彫像を)中に入れたんだよ」

彫刻の他にも、屋敷のあちこちに豪華な家具や絵画がいくつも所狭しと飾られています。

第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントン氏とジローラモさんとジローラモさんの娘さんと3人が写った写真。

ジローラモさん「(モナ・リザに似ていると)娘はよく言われているね。」

ジローラモさんの二人の娘さん(長女ナタリアさん、次女イリーナさん)たちは、15代目にあたるモナ・リザの子孫ということになります。

ストロッツィ家はフィレンツェを支配したメディチ家のライバルだったほどの名家であり、壁に掛けられた歴代の当主や家族の肖像画がその歴史を物語っています。

屋敷の階段を上っていくと、踊り場の壁から巨大な家系図(ファミリー・ツリー)が吹き抜けを伝うように描かれています。

このファミリーツリーには10世紀まで遡るという祖先を記しているそうで、いくつも枝分かれした名前の中には、イギリスの名宰相ウィンストン・チャーチル(1874〜1965年)の名前もあります。

そして「モナ・リザ」のモデルであるリザ・ゲラルディーニの名前も確かに描かれています。

屋敷の地下にあるトンネルのような空間には巨大なワイナリーが広がっています。

中世ローマ法王がその味を褒め称えたという伝説の白ワイン「ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ」(Villa Cusona)を今も作り続けているそうです。

「モナ・リザ」に乾杯。

坂本さん「辛口だが、とても柔らかいマイルドな口当たりで美味しゅうございます。」

ジローラモさん「じつは古くから我が家に伝わる財産目録には、『モナ・リザ』と書かれているんだ。ただし、その絵を実際に見たことはない。どこかで売られたのだろうと思います。ダ・ヴィンチがルーブルのモナ・リザを死ぬまで手元に置いていたのは知っていますから、目録にあるのは私たちのために先に描いたもう一枚のモナ・リザだったのかもしれないね。」

ストロッツィ家にあったのは、依頼されて先に描いた、アイルワースの「モナ・リザ」だったのでしょうか。

 

≪ダ・ヴィンチはルーブルの「モナ・リザ」をなぜ描いたのか?≫

フランス・パリへ。

なぜ2枚目を描いたのか?

最新の研究からルーブルの「モナ・リザ」に関しても様々なことがわかってきたそうです。

どのようにして「モナ・リザ」が描かれたかを突き止めたという美術史家ジャック・フランクさん「ダ・ヴィンチは本来、人の顔には輪郭、線というものが存在しないと考えていました。だから最終的に線を消し去る方法で絵を描こうとしたのです。」

「モナ・リザ」は光から影への移り変わりを自然に見せるために徐々に輪郭をぼかしながら描かれていったそうです。

しかし、この状態は絵の下地であり、ジャック・フランクさん「おそらくダ・ヴィンチにとってはこれくらいではまだ描き始めの段階。彼はこんな描き方で『モナ・リザ』を仕上げたはず。極めて小さい点で描く『ミクロの点描画法』です。」

ジャック・フランクさんが実演している絵筆は、市販されている中では最も細い0号。

しかし、ダ・ヴィンチはこの半分以下の細さの絵筆とルーペを使い、100分の1ミリ単位の点を落としていったといいます。

坂本さん「筆先が一瞬タッチするかしないか、細胞を埋めて人間の皮膚を仕上げていくみたい。」

ジャック・フランクさん「まさにその通りだと思いますよ。たぶんダ・ヴィンチでも『モナ・リザ』を仕上げるには10年はかかったと思いますよ。」

注文を受けて描く肖像画に、10年もの歳月はかけられません。

このこだわりはどこからきたのでしょう。

 

2億4000万画素という超高解像での撮影が可能となるマルチスペクトル・カメラを開発した光学技士パスカル・コットさんの研究所へ。

ルーブルの許可を得て『モナ・リザ』を直接撮影し、データを解析した結果、経年劣化でニスが変色する前の『モナ・リザ』の姿を突き止めたそうです。

坂本さん「神秘的。肌が透けそうなほど白いです。陶器のように白い。」

実は、パスカル・コットさんの研究から、かつては『モナ・リザ』の顔にしっかり描かれていたのに劣化によって見えなくなっていたものがわかったそうです。

それがちゃんと見えれば、『モナ・リザ』がより美しく見えるものだそうです。

 

【クイズ2】
当初モナ・リザに描かれていたあるものは?
→まゆげ

黒柳徹子さん「初めっからこんなに薄く描かれていたとしたら、問題になっていたと思います。」

パスカル・コットさん「私の分析によってわかったのは、『モナ・リザ』が最初に描かれた時のまゆげの部分です。」

うっすらとまゆげの描かれた跡がありました。

当時は薄い眉毛が流行の最先端でした。

ルネサンス期の美術評論家ジョルジョ・ヴァザーリ著「芸術家列伝」には「『モナ・リザ』には美しいまゆげが描かれている。まゆげは肌から生じ、濃く薄く様々に変化し、この上なく自然に描かれている。」と記されていましたが、修復作業によって現代では消えてしまったそうです。

アーティストによって復元した画像。

坂本さん「細かい毛が一本一本描いてある。」

 

 

≪ダ・ヴィンチの生まれ故郷が解く『モナ・リザ』の謎≫

ルーブルの「モナ・リザ」が依頼されたものではないとすると、一体誰のために描いたものなのでしょうか。

ダ・ヴィンチが少年時代を過ごしたのが、フィレンツェから西へ40kmのトスカーナ州にあるヴィンチ村(VINCI)です。

彼の名前の「ヴィンチ」は、彼がこの村の出身であることを示すものです。

ヴィンチ村にはダ・ヴィンチが洗礼を受けたというサンタ・クローチェ教会を中心におよそ2000人が暮らしています。

緑に囲まれた山間の丘陵地にはオリーブ畑やブドウ畑が広がり、当時と変わらない村の姿が残されています。

ヴィンチ村を訪れたちょうどこの日、4月1日はキリスト復活を祝うイースター(復活祭)の真っ最中でした。

 


大きな地図で見る

 

1452年4月15日にヴィンチ村で誕生したレオナルド・ダ・ヴィンチ。

父親の家系は今でいう弁護士や司法書士のような役人で、村では名家としてその名が通っていました。

ヴィンチ家の家紋:盾を持つライオン

母親のカテリーナは農家の娘だったそうで、ヴィンチ家に嫁ぐことができる身分ではなかったといわれています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ思想博物館館長ロマーノ・ナンニーさん「ダ・ヴィンチの父は役人としてフィレンツェで忙しく働き、一方母カテリーナはダ・ヴィンチを産むとすぐ別の男性と結婚させられたので、彼とは離れて暮らしていました。そのためダ・ヴィンチは父方の祖父の家で育てられたのです。」

ダ・ヴィンチは、村の豊かな自然の中で草花や風景の観察をし、たくさんのスケッチをして少年時代を過ごしたそうです。

実は、ルーブルの「モナ・リザ」の背景は、少年時代を過ごした故郷トスカーナの景色を描いたと考えられています。

「モナ・リザ」左肩の後ろの背景は、ヴィンチ村の南を流れるアルノ川の下流に架かるブリアーノ橋がモデルといわれ、「モナ・リザ」右肩の後ろの背景は、トスカーナ南部のバルゼ渓谷とされています。

トスカーナの風景には離れて暮らす母への思いが込められているといわれています。

ウフィッツィ美術館(フィレンツェ)の一枚の絵は、ダ・ヴィンチが21歳の時にトスカーナの景色を描いたもので世界最古の風景画といわれています。

オリーブ畑を歩き、絵が描かれた場所へ。

丘の斜面の上からは緑に囲まれた街を見下ろす素朴な景色が広がっていました。

ロマーノ・ナンニーさん「実際より少し狭く描いていますが、ダヴィンチはこの角度から景色を眺めたはずです。当時この辺りでは聖母マリアのための大きなお祭りが行われていて、その日付(1473年8月5日雪の聖母マリアの日)が絵に書かれています。彼の母カテリーナはそのお祭りに参加していたので、ダ・ヴィンチは彼女に会いに行った時のことを絵に描いたのでしょう。当時彼はフィレンツェに住んでいたので(頻繁に会うことは難しく)年に一度のお祭りを機会に会いに来ていたのだと思います。」

坂本さん「(見たところ)そんなに特別な風景というものではないけれど、ダ・ヴィンチにとってはずっと心の中に残しておきたい大切な風景だったのかもしれない。思い出がいっぱいあったんだと思います。」

生涯をかけて描き続けた神秘の笑みを浮かべた女性。

依頼されたものではなく自らのために描き、背景には故郷の風景を描いたルーブルの「モナ・リザ」は母への思いを託した作品だったのではないでしょうか。

黒柳徹子さん「二枚を比べてみた時、ルーブルの『モナ・リザ』のほうが断然女性らしい複雑さがあるので、やはりお母様のことを考えていたかもしれませんね。」

香山リカさん「表情がはっきりしないだけに、絵を見る私たちが自分の心を映すことができる。自分が楽しい時には喜んでくれているようにも見えるし、嫌なことがあった時には慰めてくれるようにも、一緒に悲しんでくれているようにも見える。自分の心の表情を映し出すことができる作品だと思う。」

パスカル・コットさん「『モナ・リザ』には優しい母の眼差しがあります。私たちには誰にも母がいる。だからこそ人々はこの絵に惹かれるのではないでしょうか。」 

ロマーノ・ナンニーさん「ダ・ヴィンチが描こうとしたのは実在の母というより母なる自然のような象徴的な存在だったと思います。そのために背景には雄大な故郷を描き、人物もふくよかな表現にしたのです。」

10年もの歳月をかけて描き続けた肖像は、ダ・ヴィンチにとって故郷や母を象徴する作品へと変わっていった。

あの永遠の微笑みにはそんな彼の思いが込められているのかもしれません。

 

【クイズ3】
モナ・リザの胸元に描かれた日本人に馴染み深い植物は?
→柳

『モナ・リザ』が着ている洋服の胸元にある刺繍の模様は、ヴィンチ村にたくさん生えている柳をモチーフに図案化したもの。

しなやかで強いことからかつては様々な日用品に加工されていたそうです。

日用品作りはトスカーナ地方ではかつて家で教わる伝統の技として受け継がれていたものだそうです。

材料には葉が出る前の細い枝が使われます。

カゴ職人ロベルト・ボッタイーニさん「柔らかくて強い枝だからどんな形にでも編めるんだよ」

たった10分ほどで可愛らしいカゴが出来上がりました。

ロベルト・ボッタイーニさん「柳だよ。柳はこの地方にたくさん生えているんだよ。」

実は、ヴィンチ村の”ヴィンチ”とは、ラテン語で「柳の枝」を意味する”ヴィンキ”が由来なのだそうです。

編み細工に使われているのは、扱いやすいシロヤナギという種類です。

様々な用途に応じて編み込む柳を観察していたダ・ヴィンチは、後に彼が生涯サインのように使った象徴的なエンブレム「柳の枝の飾り模様」を生み出し、『モナ・リザ』の胸元を飾ったのだそうです。

香山リカさん「ダ・ヴィンチは科学とか技術とか天才と呼ばれていますけど、心を込めて描くという『心の人』だったんだなということがしみじみとわかった。」

 

 

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なんとダ・ヴィンチの「モナ・リザ」のテーマの行き着いた先は”母”に通じていた、という人間的な展開・・・。

奇しくも5/12は「母の日」でもあったわけで・・・。

この時期にこのタイミングでこのテーマを放送するという、「世界ふしぎ発見!」の真骨頂とでもいうべき、旬で知的な”いい仕事”してます。

こういう、番組のさりげなくも粋な計らいというのは、鳥肌が立ちます。

まさに、ブラボー!!ですね。

非常にセンシティブで素晴らしいウイットを感じずにはいられませんでした。

 

≪モデル女性特定に向けてモナリザの「息子」の遺骨調査が進行≫

2013年8月9日、イタリアの研究チームは伊・中部フィレンツェの教会の墓で、レオナルド・ダビンチの名画「モナリザ」のモデルとされる女性リザ・デル・ジョコンドの息子とみられる遺骨の発掘調査を開始したそうです。ANSA通信などが伝えました。

研究チームは、リザの遺骨がフィレンツェの修道院跡の地下に埋葬されていると結論づけ、2011年に発掘を開始し、これまでにリザの可能性がある遺骨を数体発見したといいます。

今回息子の遺骨が見つかれば、DNA鑑定によってリザ自身の遺骨を特定の上、復顔作業も行って本物のモデルかどうかを判断する予定なのだといいます。

 

≪ダ・ヴィンチの新たな肖像画作品が発見される≫

2013年10月4日付イタリア主要紙コリエレ・デラ・セラ紙などは、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた肖像画が新たに発見されたと報じました。スイス北部在住のイタリアの名家のコレクションの中から、数年前に発見されたものだそうです。最終的な確認まではされていないものの、鑑定した専門家いわく「弟子が加筆しているがダビンチの作品だということに疑問の余地はない」新たな作品とされるのは、モデルにイタリア北部のマントバ候妃イザベラ・デステを描いた油絵です。1500年前後に描かれた木炭画の習作(ルーブル美術館収蔵)がほぼ同じ構図で存在していましたが、こちらのコンテ以外に彩色された作品は今まで存在しないとみられていました。

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コメント

    • k-co
    • 投稿日 (Posted on):

    フランス語では「un」(アン)、イタリア語では「uno」(ウノ)といえばいくつのことでしょう?
    正解は “1” です。
    英語では「one」(ワン)、スペイン語では「uno」(ウノ)、ドイツ語では「eins」(アイン)、ポルトガル語では「um」(ウン)、ラテン語では「unus」(ウーヌス)です。

    • k-co
    • 投稿日 (Posted on):

    すでにある詩文の表現や着想を取り入れながら自分なりの工夫を加えて新しい作品にすることを、漢字4文字で何というでしょう?
    正解は「換骨奪胎」です。
    「かんこつだったい」と読みます。骨を取り換え子宮を奪い取って自分のものとして使う、という意味です。本来は単なる模倣や二番煎じのものには使われない言葉です。

    • k-co
    • 投稿日 (Posted on):

    モナリザの微笑は「喜び」 長年の謎、科学の力で解決
    2017/03/11 07:21(パリ/フランス)
    【3月11日 AFP】巨匠レオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci)の代表作「モナリザ(Mona Lisa)」が見せる有名なほほ笑みは、しばしば意味深長と評され、数世紀にわたり調査や議論の対象となってきた。だが、この表情の意味を読み取ることは、実はそこまで難しくなかったようだ。

     モナリザの微笑を見た人々のほぼ全員が、明確な「喜び」の感情を読み取ったとの実験結果が10日、発表された。研究に参加した独フライブルク大学(University of Freiburg)の脳科学者ユルゲン・コルンマイヤー(Juergen Kornmeier)氏はAFPに対し、実験結果について「われわれは本当に驚いた」と語っている。

     モナリザの表情は謎めいた感情の象徴とされ、多くの人にとって最初は優しい笑顔に見えるものの、長く鑑賞すればするほど、あざけりや悲しみの表情にも見えてくる。

     実験では、作品を白黒にコピーし、モナリザの口角を上下に調整した画像を計8種類作成。うち4枚は原画より幸せそうな顔に、もう4枚は悲しそうな顔に変え、原画を加えた9枚の画像を12人の被験者に30回見せた。

     被験者は各回で、画像9枚を無作為な順序で見せられ、モナリザの表情が喜びと悲しみのどちらを表現しているのかとの質問に答えた。

     コルンマイヤー氏は「美術界と美術史での説明に鑑みて、最も(表情が)曖昧なのは原画だと考えていた」が、その予想は外れ、被験者は97%の確率でダビンチの原画を喜びの表情として受け止めたという。

    ■精神障害研究の一助にも

     実験の第2段階では、モナリザの原画と、口角を第1段階よりもさらに細かい単位で「悲しげ」に変えた画像8枚を使用。この実験でも、被験者は原画を喜びの表情と受け止めた。だが一方で他の画像への認識に変化がみられ、第1段階よりも「表情が少し悲しげだと認識された」という。

     コルンマイヤー氏はこの実験により、「私たちの脳には喜びや悲しみを計る絶対的な尺度はなく、多くは文脈に頼っている」ことが分かったと説明。この過程を理解することで、精神障害の研究に役立つ可能性があると述べている。

     研究チームは今回の実験によって、モナリザをめぐる数世紀にわたる疑問をついに解決したと考えている。

     コルンマイヤー氏は「他の部分については曖昧さがあるかもしれない」ものの、「喜びか悲しみのどちらかという点については、曖昧さはなくなった」と語った。(c)AFP/Mariëtte Le Roux

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