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忠臣蔵散歩
野山の紅葉が深みを増す頃。暦の上で、冬が始まる「立冬」を迎えます。
季節の変わり目を微かに感じながら、今年もそろそろ終盤だなと、しみじみ。そんな時期ではないでしょうか。
晩秋の水辺に柔らかな太陽の光が広がる隅田川。
カラッと爽やかな日差しと川面を渡る心地良いそよ風を水上バスから楽しみたい。
ときめく行楽の秋は、水辺でのんびり充電。水上バスでお出かけしたいな。
《隅田川周遊と小林祐一氏の「忠臣蔵散歩」》
「赤穂浪士吉良邸討ち入り」は江戸元禄時代を象徴する大事件。300年もの時を超え、今なお語り継がれる物語の真実とは?江戸城・松の廊下での刃傷沙汰から亡き主君の墓前で仇討報告を行った泉岳寺までを、赤穂浪士が辿った道程を隅田川ミニクルーズと組み合わせて、歴史研究家の小林祐一氏の解説とともに巡る「忠臣蔵散歩」ツアーです。第1回は松の廊下から討ち入りまで、第2回は討ち入り後から泉岳寺までと師走の風物詩「忠臣蔵」の道程をそれぞれ散策します。隅田川の周遊とともに、赤穂浪士の足跡を小林さん流解説に学びながらゆかりの地めぐりを楽しめるそうです。
[第1回:松の廊下から討ち入りまで]
浅野内匠頭が吉良上野介への刀傷事件を起こした、江戸城「松の廊下」。事件の発端となった現在の皇居東御苑で、当時の江戸城や大名の様子を学びます。講義の後は両国へ移動し、赤穂浪士が討ち入りした吉良邸跡、回向院を散策。両国から水上バスで明石町へ向かい、播州赤穂浅野家の上屋敷跡を見学して解散です。映画やドラマではわからない歴史の裏側を楽しみたいです。
2013年12月18日(水) 9:30 大手町駅C13b地上出口集合
大人:4,800円、小学生:4,000円 (乗船料、受講料、食事代等含む)※皇居東御苑から両国駅までの交通費は含まれません。
行程:大手町駅集合(9:30)⇒皇居東御苑散策⇒一旦解散⇒各自両国駅に再集合(12時)⇒ホテルベルグランデ「さくら亭」にて昼食⇒両国散策(吉良邸・回向院・両国橋)⇒両国発着場~水上バス周遊(15:25~16時)~明石町・聖路加ガーデン前発着場⇒播州赤穂浅野家上屋敷跡見学⇒現地解散(16:30)
[第2回:討ち入り後から泉岳寺まで]
2回目の「忠臣蔵散歩」は、歌舞伎「元禄忠臣蔵」の舞台になり、将軍の庭として歴史を残す「浜御殿」こと浜離宮恩賜庭園からスタートです。討ち入り後の赤穂浪士たちが歩いた道のりを、浜離宮恩賜庭園から泉岳寺までたどります。仇討ちの成功と最期の覚悟・・・命と引き換えに仇討ちを果たした浪士たちの胸にはどんな思いが去来したのでしょうか。
2013年12月20日(金) 10:15 東京水辺ライン両国待合所集合
大人:4,800円、小学生:4,000円 (乗船料、入園料、受講料、食事代等含む)
行程:両国待合所集合(10:15)⇒両国発着場~水上バス周遊(10:45~11:30)~浜離宮発着場⇒浜離宮恩賜庭園散策→浜松町駅前ビルB1「しげぞう」にて昼食⇒泉岳寺まで散策⇒泉岳寺見学⇒現地解散(16時)
定員:各回40名(応募者多数の場合は抽選)※イベント実施に伴う最少催行人員30名に満たない場合は中止。
申込締切:
各回共に
平成25年12月8日(日)(当日消印有効)
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アクセス:東京都墨田区横網1-2-15(東京水辺ライン)
公益財団法人 東京都公園協会 東京水辺ライン
(9:00~17:00、月曜定休 ※祝日の場合は翌日が定休)
電話:03-5608-8869
江戸時代の「赤穂事件」関連の古文書や図面など皇室に伝わる所蔵資料6点の画像を2013年12月2日より宮内庁がホームページで公開しています。江戸時代中期の1702(元禄15)年12月に大石内蔵助(おおいしくらのすけ)らが吉良邸(現在の墨田区両国付近)を襲った「赤穂事件」は、「忠臣蔵」として歌舞伎などで上演され、多くの記録が作られています。江戸時代後期に国学者らが収集した写本などの資料が明治時代以降に皇室に献上されていたそうです。今回ネットで閲覧可能になる「吉良上野介(きらこうずけのすけ)屋敷図」は、江戸時代後期1830年作成の写本で、赤穂浪士が討ち入った際の吉良家の屋敷見取り図となっていて、大石内蔵助や堀部安兵衛ら各浪士の屋敷内配置が記されている。内蔵助の屋敷図や、内蔵助らが幕府に提出した口上書、浪士10人を預かった大名毛利家の記録もあるという。また、「吉良家日記」は吉良家の所領があった愛知県西尾市で今年になって翻刻・出版されている。宮内庁書陵部図書課は2013年11月1日から図書寮文庫で所蔵する皇室ゆかりの古文書や和歌集、絵巻物などの資料のデジタル画像1万点や目録31万点のネット公開をスタート。これまでは皇居内にある宮内庁書陵部で閲覧申請をする必要があり、年間400件ほどの申請があったという。今回は図書寮文庫サイトの「ギャラリー」ページに約1ヵ月程度「忠臣蔵」関連画像6点が掲示される。関連文書の目録は数十件が検索可能とのこと。坂本龍馬が自筆したは、桂小五郎(後の木戸孝允)に求められ、龍馬が同盟内容を保証するため朱字で裏書きをした「薩長同盟裏書(うらがき)」、世の中に一つしかないとされ「天下の孤本」と称される貴重な鎌倉時代の日記文学「とはずがたり」の写本、主に明治時代に撮影された古写真約500点、1888(明治21)年の福島県・磐梯山噴火などの災害写真、幕末のパリ万国博覧会などの写真など、皇室には宮廷文化以外にもさまざまな資料が伝えられているのだそうです。
赤穂浪士四十七士の討ち入り直後、江戸市中で飛び交った情報を集めて記録したとみられる、近江・日野商人の書状が発見されたそうです。元禄15年12月14日(1703年1月)の討ち入り翌日の日付で、関東で造り酒屋を営んでいた鈴木忠右衛門が日野町の本宅あてに出した書状とみられています。町立近江日野商人館(滋賀県日野町)で2014年1月5日から1月30日までの期間、写しが展示されるということです。満田由順館長の訳によると「昨日、吉良上野介殿邸へ夜討ちがあった。浅野内匠頭殿の浪人は150人ほど。今春に奉公人に成りすました者が4人、中間(ちゅうげん)、鑓持ち(やりもち)、若党などにも成りすましていた。午前2時頃、浪人は太鼓などを打ち鳴らし、火事だと触れるなどして邸内の者が門を開けたところ乱入した。上野介殿らの首を持たせて品川の内匠頭の墓所へ行った。吉良邸の門の外にまで切り散らされた者がいるという。」最後は「いさ記能キ(いさぎよき)との評判二て候 善悪 しかとそんし申さず候(世間ではいさぎよいと評判になっておりますが善悪の判断については難しいものがあります)」と結ばれています。当時、武士に限らず商人の間でも、赤穂浪士がいつ討ち入りするのかが大きな関心事だったことを窺い知ることができる資料ですね。
赤穂浪士が吉良上野介邸に討ち入った日に当たる12/14、兵庫県赤穂市で「赤穂義士祭」が開催された。110回目となる2013年は、大石内蔵助役のゲストとして俳優の松平健さんが参加。クライマックスは、47名の義士に扮した市民らが練り歩く「義士行列」で、赤穂城跡を出発し、全長約1.1kmのコースを約1時間40分かけて行進。黒の羽織に刀を差した討ち入り装束に身を包んだ四十七士は、先導する陣太鼓の音に合わせ、列を組んで一歩ずつ進んでいく。沿道には約8万人の観衆が詰めかけ、松平さんは笑顔で歓声に応じた。
コメント
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2014年 10月 16日
鎌倉時代に起こった2度の「元寇」といえば、「文永の役」と「何の役」だったでしょう?
正解は「弘安の役」です。
元寇とは、1度目の文永11年(1274年)と、2度目の弘安4年(1281年)の2回にわたり、蒙古が日本に行った侵略戦争です。2度とも後に「神風」と呼ばれる暴風雨が吹き荒れ、蒙古軍は壊滅しました。