ニューギニア島のバリエム渓谷(インドネシア・パプア州) Baliem Valley

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canoe

2013年7月6日放送「世界ふしぎ発見!」(第1280回)は、「秘境ニューギニア探検 密林に消えた青年を追え!」(ミステリーハンター:グローバーさん ※初挑戦)でした。

 

 

南太平洋に浮かぶニューギニア島 (New Guinea / Pulau Papua) の面積は日本のおよそ2倍です。島の中央にはパプアニューギニア (Papua New Guinea) との国境線があり、西側がインドネシアのパプア州 (Papua, Indonesia) です。内陸部を険しい山脈が貫き、海岸沿いには鬱蒼としたジャングルが広がります。

この島では1000にもおよぶ部族が独自の文化を築いて暮らしているそうです。

 

1961年、ニューギニア島で1人の青年が消息を絶ったといいます。彼の名前はマイケル・ロックフェラー(Michael Rockefeller)23歳、アメリカの伝説的な大富豪であり石油王と呼ばれたジョン・ロックフェラー(John Davison Rockefeller, Sr)のひ孫です。

マイケル・ロックフェラーが行方不明になる以前に持ち帰ったものが、今もニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されています。それは、高さ5m にもおよぶ「ビスポール (Bis Pole)」と呼ばれる細長い白木彫りの彫刻です。

Bis Pole | Asmat people | The Metropolitan Museum of Art:
http://www.metmuseum.org/collection/the-collection-online/search/313830

アソシエイト キュレーターのエリック・チェルグレンさん「ビスポールは造形的にとてもユニークな彫刻です。人の姿や精霊のシンボルが1本の木に見事に融合されています。」

なぜマイケルは、未開の島で命の危険を冒してまでビスポールを集めようとしたのでしょうか。

52年前に行方を断ったマイケルの足跡を辿るため、パプア州都ジャヤプラ(Jayapura)のセンタニ空港に降り立ったのは、今回ミステリーハンター初挑戦のグローバーさんです。グローバーさんはミュージシャンとして活動する傍ら、東京大学で美術史を専攻する学生でもあります。(SKA SKA CLUB(ヴォーカル)、Jackson Vibe(ヴォーカル)、東京大学文学部在学中)

グローバーさん「マイケルが夢中になったこの土地の魅力をこの目で確かめたい。あと、アスマットの彫刻のパワーも見たい。美術の勉強もしているので。」

 


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1960年、ハーバード大学を卒業したばかりのマイケル・ロックフェラーがニューギニア島に来て最初に向かったのは、山岳地帯に暮らすダニ族の村でした。

そしてビスポールを求めて向かったジャングルへ。ビスポールはアスマット族の精霊の家に眠っていました。アスマットの人々は何のためにビスポールを作るのでしょうか。その秘密は彼らの日々の暮らしに答えがありました。

ニューギニア島の探検によってマイケルは一体何を伝えようとしたのでしょうか。秘境で一人消息を絶った青年の謎に迫ります。

 

まず向かったのはジャヤプラの南西にあるバリエム渓谷(Baliem Valley)で、5000m級の山々に囲まれたニューギニア島内陸奥地の山岳地帯です。

The Baliem Valley, also spelled Balim Valley and sometimes known as the Grand Valley, of the highlands of Western New Guinea island, is occupied by the Dani people. The main town in the valley is Wamena. (http://en.wikipedia.org/wiki/Baliem_Valley)

マイケルが生まれた1938年に、アメリカ人探検家のリチャード・アーチボルトがバリエム渓谷上空から点在するダニの人々の集落を発見しました。西洋文明と初めて接したダニの人々は、当時「20世紀の奇跡」と呼ばれ、世界を驚かせました。

その23年後、探検隊の一員としてニューギニア島へやって来たマイケルは、6ヵ月間の滞在中に数千枚もの写真を残しました。

「僕が探検隊に参加した理由、それはまさしく、フロンティアが消えつつある時に何か冒険的なことをしたいという熱望だった」(マイケル・ロックフェラー)

石油王のひ孫であり、ニューヨーク州知事の父を持ち、ハーバード大学卒でエリートコースを真っ直ぐに歩んできたようなマイケルでしたが、彼はこの地で何を見て、何を感じたのでしょうか。

 


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ダニ族の村に到着しました。

オビヨ村では、4世帯、40名ほどの一族が暮らしています。

ブタがいます。

村の周囲にはびっしりと隙間なく木の塀が巡らされていてまるで砦のような雰囲気で、外から中の様子は見えません。ダニ族の典型的な村の佇まいなのだそうです。

狭い門(入り口)を越えて敷地の中へ入ると、村人全員が伝統の装いで広場に集合し、出迎えてくれました。

まずは長老に挨拶です。

長老ムラク・マルベルさん「ワッ、ワッ、ワッ、ワッ!(喜びを表現する発声音です)歓迎の印に、踊りを踊る」

長老の掛け声を合図に村人全員が声を上げながら踊り始めました。(※ダニ族の男性の装束 コテカ (Koteka) は彼らの正装です。その文化を尊重するために画像修正はしておりません)コテカと呼ばれるペニスケースはダニ族の男性の伝統的な装身具です。

The koteka, horinm, penis gourd or penis sheath is a phallocrypt or phallocarp traditionally worn by native male inhabitants of some (mainly highland) ethnic groups in New Guinea to cover their genitals.(http://en.wikipedia.org/wiki/Koteka)

男性は股間に着けるコテカ以外にも頭には鳥の羽根飾り、首からネクタイのように白っぽい細長い織物のような飾りを着けています。

マイケルも写真に残している光景です。「ダニの人々の歌と踊りは想像以上に野性的だった。私は夢中になってシャッターを切った。」(マイケル・ロックフェラー)

歓迎の踊りの後、長老たちにマイケルが撮った写真を見てもらいました。

長老「村同士の大きな戦いの時の写真だ。わしも戦った。」

マイケル・ロックフェラーの写真を見て、長老は言いました。「カロロだ。マイカロロに間違いない。」

長老「カメラを持っていたから戦いの写真を撮ったんだろう。」

マイケル・ロックフェラー → マイカロロ → 「カロロ」とダニの人々から名前を縮めた愛称で呼ばれていたのだそうです。

52年前、確かに彼はここにいたのです。

 

翌朝7時に再びオビヨ村を訪問すると、通りかかった村の女性が愛想良く手を振って挨拶を返してくれました。(ダニ族の女性はスカートのような長めの腰巻きを着けていましたが上半身はトップレスでした。)

まず長老の家に挨拶に向かいます。

茅葺き屋根の家屋は朝晩冷え込むので壁は二重になっています。玄関も身を屈めながら跨ぐ必要があるほど狭い造りになっています。

長老ムラク・マルベルさん「ワッ、ワッ、ワッ、ワッ!(喜びを表現する発声音)」

ディディムス・マルベルさん「ここは男だけの家だ。2階が寝室になってる。」

2階の寝室は何本もの細長い木の幹を束ねてアーチ状に作ってあります。寝室に上がるとドーム型の天井の高さは3~4mほどあり、スペースも広いです。干し草のようなものが絨毯のように敷き詰められています。

ディディムスさん「下の囲炉裏の熱で暖かいんだ。ここには村の男たち20人くらいが寝ている。」

この男小屋の向かいに建つ横に細長い形をした家屋は、共同の炊事小屋で、中では女性たちが世帯毎の囲炉裏で朝食を作っていました。ここも囲炉裏端以外は干し草のようなものが絨毯のように敷き詰められています。

薪で焼いているのは主食のサツマイモです。木の枝を先から真ん中くらいまで二つに割いた(大きなピンセットのような)道具をトングみたいに使って焼き芋を摘まみながら調理しています。芋を摘まみます。直火で半生に焼いた後、20分ほど灰の中に埋めると、より美味しく出来上がるのだそうです。

グローバーさん「そうか。最後は蒸し焼きみたいになるんだ。」

男たちは男小屋で食事を取ります。

グローバーさん「でもお父さんたちより先に食べていいのかな」

長老「どうぞ、どうぞ」

グローバーさん「美味しい。ほんとスイートポテトだ。(もう一種類の芋は)サツマイモとジャガイモの中間くらいの味。」

朝と昼はほとんどサツマイモだけで、肉や野菜は時々夕食で取るのだそうです。

 

朝食後、裏庭へ案内してくれました。

瓢簞(ひょうたん)棚があり、コテカの材料となる植物(ひょうたんの一種)を栽培していました。伝統の装身具コテカはひょうたんの一種をくり貫いて作るのだそうです。

真っ直ぐで細長いコテカを作りたい時は、実の下のほうに重石を括り付けた紐をぶら下げて育てています。

グローバーさん「人によって形の好みは違うんですか?」

ディディムスさん「右や左に曲がっているコテカや螺旋状のものが好きな人もいるよ。おれは今、この右曲がりが好きなんだ。お前もコテカ着けてみるか?おれのを一つ貸してやるよ。」

グローバーさん「似合うかな、大丈夫かな・・・」

ディディムスさん「絶対、似合うさ!」

ディディムスさんが自分のコレクションを持ってきてくれました。

15分後、着替えから戻ったグローバーさんが勇ましい姿で登場しました。「どうですか皆さん、ダニの人々の衣装に身を包んでみました!」(股間はモザイク処理されています)

長老や村人たち、女性たちからも「バグース!(最高!)」の声が掛かりました。グローバーさんの上半身を覆う濃いめの体毛もワイルドな雰囲気をプラスしていて、なかなか似合っている様子です。

ディディムスさん「戦いに出る時の練習をしよう」

長槍を手に掲げて走って行きます。

ディディムスさん「おい、ちょっと止まれ。」グローバーさんのコテカがずれたのを見て直してくれました。

村の敷地を何度も往復しているうちにどんどん人が増えてきました。そして興奮した男たちは雄叫びを上げながらそのまま村の外に出て行きます。

一方の手に長槍、もう一方の手に白い羽根が付いた細長い棒※を持った男たちが、広場で円陣になります。(※タクシー運転手さんなどがよく高級車の掃除に使っている「毛ばたき」がもっと長くなったような形)

ディディムスさん「おれたちの戦い方を見せてやる。ついてこい。」

腰を落としながら小走りに、素早くジグザクに前へ進みます。男たちが甲高い雄叫びを上げながらの実戦練習が始まります。辺りには甲高い雄叫びが響き渡り、高揚感がピークに達したダニの戦士たちのボルテージも最高潮の様子で、トランス状態に入り殺気が漂います。実戦さながらの模擬戦闘に入るといきなり背後から本当に槍が投げつけられ、あわやグローバーさんを直撃、さらに弓矢も発射されました。

「長老の一人が敵軍を野次った。進軍の瞬間はとても野性的な光景だった。戦いが再び始まり、大きな声で指示が飛び交った。」(マイケル・ロックフェラー)

グローバーさん「いや、マイケル怖かったと思いますよ。彼が撮った写真はすごい迫力だけど、すごい覚悟で撮ったと思う。やるかやられるかとか、命を賭けて勝負するってことは、人間として強いから。彼はその強さみたいなものに強烈に惹かれたんじゃないでしょうか。わからないけど、マイケルってすごい家柄ですごい肩書き背負って生きてたから、それが何にもないこういう一人の人間として対峙した時に、なんか解放されたのかもしれない。一人間として人と向き合えるような、そういう気持ちもあったのかもしれない。」

グローバーさんがカメラの前で雄叫びの練習をしていると、ディディムスさんがそっと近寄ってずれたコテカを直してくれました。「コテカがずれちゃうんですよね・・・ありがとう」

 

グローバーさんが両手に2本のコテカを握りしめながらスタジオに登場!

実際にグローバーさんが装着していたコテカです。

「(ほぼ2週間)取材というか、もう住んできました。コテカは彼らにとっての伝統衣装です。村の若い方は普段Tシャツに短パンで過ごすこともあるみたいですけど、それは僕らでいうところの室内着みたいなものなので、やはりお客様が来た時はそういう格好は失礼だからということで、ちゃんとした衣装で迎えてくれたんです。」

草野仁さん「いわばフォーマルな正装なんですね。」

出水麻衣アナ「恥ずかしくはなかったですか?」

グローバーさん「着替える前はそうでしたけど、いざ外に出て行くと、開放感がすごいし、村の皆さんも同じ衣装を身に着けているし、自分は今『カッコいい格好をしている』という気持ちがしてきました。」

黒柳徹子さん「あなたはよくコテカがずれていたようですが、現地の方々は皆さん外れたりせずに、きちっと装着されていたんですか?」

グローバーさん「きちっと装着されてはいるんですけど、腰に紐で結んで固定しているものなので、話している時にちょっと手が引っ掛かって取れちゃった時があって、その時はほんとに恥ずかしそうにしていました。(彼らにとって)コテカが取れるというのはほんとに恥ずかしいことなんだとわかりました。」

コテカは日本で言うと相撲の廻し(まわし)のような感覚なのかもしれません。

おぎやはぎの矢作兼さん「食べていた幼虫はどんな味なんですか?」

グローバーさん「白子みたいな感じ。美味しいんです。すごいタンパク質で、三つくらい頂いたんですけど、夜なかなか寝付けないほどでした(活力アップの効果を身を持って知りました)。」

 

ダニの男性の正装はコテカだけではありません。小さな貝殻を編んで作った胸飾り、動物の毛皮や鳥の羽根で作った頭飾りを着けます。

 

【クイズ1】
ダニの人たちが帽子の材料に使う森で採れるものは?
→クモの巣(クモの糸)

村を出てすぐ、発見したクモの巣に細長い木の枝を伸ばし、綿菓子を作るような手つきで絡め取っていきます。

日本で見られるクモの巣に比べて粘着力は弱いですが、糸の強度は丈夫で、固めると綿のようになり、防水性、撥水性に優れているのだそうです。

グローバーさん「一つの帽子を作るのに数十は集めるそうです。そういう貴重なものなので、代々受け継いでいって、こういう年季が入った色味が付いてくるそうです。」

 

 

コテカを貸してくれたディディムス・マルベルさん「おれの娘と妻だよ。」妻リンチェさん、娘マリアさんです。

グローバーさん「ここでの暮らしで一番楽しいことってなんですか?」

ディディムスさん「おれは家長だから家族を守らなければならない。だから家族みんながお腹いっぱい食べられるようにサツマイモがたくさん採れた時が一番嬉しい。」

グローバーさん「家族を守ることが一番の幸せなんだ。カッコいい!」

サツマイモ畑は村から10分ほど歩いた場所にあります。あたりは山間の緑に囲まれた里山の雰囲気です。

ほぼ毎日、朝8時頃から夕方まで村人全員で働きます。

翌日食べる分を収穫し、畑を耕して植え付けをします。

さらに新たな畑も開墾します。開墾は力仕事で男たちの役目です。

「男たちが歌いながら重い棒で地面を掘り起こし畑を作っている。農作業で最も過酷な労働だ。」(マイケル・ロックフェラー)

大きな岩石を3人がかりでどけています。地面に生えた太い木の根を力尽くで引き抜き排除します。力を合わせて作業を進めます。大変過酷な重労働です。

グローバーさん「農作業も全力でやるから、戦いの時と一緒で、雄叫びが出るくらいテンション上げてやってるんですね。(食料を得るために原野を切り開いて畑を作っていくというのは)生きる死ぬという意味では(戦いと)一緒なんだと思う。人間ってこうやって生きてきたんだなって感じますね。」

女性たちが歌いながら畑を耕しています。

ダニの人々に別れを告げてさらにマイケルの足跡を追います。背後の空にはグローバーさんを見送るように巨大な虹が浮かび上がっていました。

 

 

≪精霊と共に生きるアスマットの人々≫

マイケルはニューギニア島南部、アラフラ海側のジャングルに暮らすアスマット族 (Asmat people) の村で、ビスポール (Bis Pole) と呼ばれる木彫りの彫刻に出会いました。

アスマット族が暮らす地域(インドネシア・パプア州アスマット地域)へのアクセスは、国内線の定期便がないため、小型のプロペラ機をチャーターして向かいます。

1時間ほどで眼下には広大なジャングルと蛇行して流れる川が見えてきました。

1961年8月、マイケル・ロックフェラーもニューギニア島の南部海岸沿いにあるこの深いジャングルを目指しました。

一度帰国したマイケルが1ヵ月後、再びニューギニア島を訪れた目的は、ビスポールを収集するためでした。

ビスポールは人物の形を模っていて日本のこけしに手足を付けて縦に何体も細長く繋げたような形をした細長い木の柱(ポール)です。向かい合わせの格好で小さな子ども(赤ちゃん)を抱いた人物の彫像などもあります。白木を彫刻したままで色は付いていません。トーテムポール(トーテンポール:totem pole)はアメリカ先住民が、家の中や前、墓地などに立ててきた柱状の木の彫刻ですが、ビスポールもそれに少し似ているような雰囲気があります。

人の侵入を拒むような湿地帯の川を小型ボートに乗り込んで移動します。

マイケルが訪れた当時、アスマット族には首狩りの風習があったそうで、彼らと接触するには危険が伴いました。

なぜマイケルは、そのような命の危険を冒してまでビスポールを集めようとしたのでしょうか。

 


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飛行場から川を遡ること2時間半、今回訪問を約束している村が近づいた時、川辺の茂みから突然、雄叫びとともに小舟に乗ったアスマットの人々が大勢出てきました。褐色の肌に斑に白い化粧をしています。

アスマット伝統の「歓迎の出迎え」です。何艘もの小舟がボートの周りを取り囲むようにして進みます。このようにして遠くから着た訪問客を守りながら村まで連れて行ってくれるのだそうです。

丸太をくり貫いて作った細長いカヌーはアスマットの人々の交通手段です。1艘に5人~7人が乗り込み、絶妙なバランスを保ちながら全員が立ちながら漕ぎ進めます。

ワルセ村に到着です。

湿地帯なのでぬかるみが多く、通り道には細い丸太が渡してありその上を歩きます。

精霊の家の中へ

村の中心にある精霊の家は女人禁制で、普段、男しか入ることが許されません。

村長エドゥ・アルドゥスさんに挨拶をします。

エドゥ村長「これまで海外からの訪問客はほとんどありませんでした。遠い日本から来てくれたことを村人全員が歓迎しています。」

「歓迎の歌を唄おう!」

太鼓が大きく鳴り響く中、男たちが発する大音響の雄叫びが共鳴します。それはまるで敵を威嚇するかのような猛々しい怒声にも聞こえ、精霊の家はワイルドな割れんばかりの大合唱に包まれていきました。大歓迎のしるしです。

「こちらが村の長老たちだ」

長老ワル・ゴバさん「我々のビスポールを見せてやろう」

グローバーさん「テレマカシ(ありがとうございます)」

ビスポールは一本の木から作られていて数十年で朽ちます。朽ちたら1年がかりで儀式を行い作り替えます。

ワルセ村では2年前に2本のビスポールを作ったそうです。

ビスポールには実在した戦いの英雄の魂が宿っているのだそうです。

長老ワルさん「(三角形の部分は)鳥を表している。敵が襲ってきた時に知らせてくれる。ここ(先端)が嘴だ。(三角形の部分は後からくっつけたのではなく)木の根っこの部分だ。天地を逆転させて彫刻するのだ(ビスポールの上部は木の根っこ)。」

グローバーさん「立ててあるのを想像してきたが、なぜ家の中で横に寝かせて置いてあるのか?」

長老ワルさん「ビスポールは英雄の魂を祀る儀式の時にだけ立てる。それ以外はこの精霊の家に寝かせておくものだ。」

52年前、マイケルも精霊の家でビスポールに出会ったに違いありません。

スコールが降ってきました。

グローバーさん「びっくりしたと思うんです。知らない造形だったり、考えもしない大きさとか、それを見ていたら、たぶん同じように村の人たちが『これはこういうものだ』とか魂を込めて語ってきたと思うんです。そういうのをひっくるめて(マイケルは)すごく胸を打たれたんだと思います。(できることなら)立っているところを見たいですね。」

 

アスマットの人々は成人の儀式で、ある生き物を彫刻したカヌーを神に捧げます。

その生き物の彫刻には「一族を繁栄に導くように」という願いが込められているそうです。

 

【クイズ2】
成人の儀式に使う特別なカヌーに彫られる生き物は?
→カメ

アスマット地域にある唯一の町アガッツ(アガツ、Agats)のアスマット博物館には、アスマットの人々の様々な彫刻が集められ展示されています。

館長のエリック・サコールさん「これが成人の儀式で使われるカヌーです。中央にいるのが繁栄のシンボルの生き物です。」

カメは繁栄のシンボルであると同時に、大地のシンボルでもあるそうです。

成人の儀式ではこの亀の彫刻を踏んで大地の力を得るのだそうです。

 

 

≪ビスポールに秘められた本当の意味とは?≫

エドゥ村長から朝食に招待されました。

住まいは最初に訪問した精霊の家同様、高床式の木造家屋のようで開放感があり、床は板の間になっていました。ダニの人々の住居とはまた違った趣があります。

アスマットの人々の主食はサグーです。家屋の隅に設けられた囲炉裏でお餅のように焼いて料理します。

サグーはジャングルに生えているサゴヤシの幹から採れるデンプンからできています。

おかずは川で捕れた魚です。こちらも囲炉裏の火で焼き上げます。

グローバーさん「(サグーは)固いパイ生地みたいな感触で、味はパンみたいな感じですね。」

エドゥ村長「魚も美味いぞ。骨に気をつけろ。骨が硬いからな、喉に刺さるぞ。」サグーの中に切り身を入れてくれました。

グローバーさん「魚、美味しいですね。白身魚です。サグーに合う。サグーはどうやって作るんですか?」

エドゥ村長「サグーの木を切って作るんだ。後で連れて行ってやる。一緒に手伝うんだぞ。食べるだけじゃ駄目だ。」まさに、働かざる者食うべからず、ですね。

グローバーさん「わかりました、村長。がんばります!」

 

サグーを作る作業は、親戚一同が一日がかりで行います。

細長いカヌーの中央に座り、アスマットの人々が前後に並んで立ち漕ぎしながら川を移動します。

サグーの原料となるサゴヤシはジャングルの奥地に生えています。

本流から細い支流へと森の中を遡っていきます。

途中、倒木が川に掛かり行く手を阻んでいました。

不安定なカヌーの先端部分に立ち上がり、倒木に斧を打ち下ろします。もう一人がカヌーが転覆しないように船体を棒で支えます。

20分で伐採完了しました。逞しい背中には玉のような汗が噴き出して流れています。

さらに30分、支流を遡ります。そしてカヌーを下りると歩いて密林の中を進みます。

森の中には沼地のような場所もあり、ぬかるみを歩いて行きます。バランスを取りながら倒木の上を歩かないと足元がずっぷりと沈んでしまいます。

歩き始めて30分、サゴヤシが生えている場所まで到着しました。

グローバーさん「でかい!でかい!めちゃくちゃデカイ!」

巨大な背の高い椰子の木です。

幹からデンプンを取るためにまずは切り倒します。

アスマットの男たちが根元の幹に何度も斧を振り下ろし、やがてサゴヤシの巨木が大きな地響きとともに切り倒されました。

グローバーさん「地面がめちゃくちゃ揺れました!」

男たちが木の皮を削るため手斧を振りかぶり振り下ろし、女性たちが樹皮の部分をどんどん剥いでいきます。木の皮が剥がれると中の白っぽい色の繊維質が露わになってきました。

エドゥ村長「よく見てくれ、私たちは生きるためにみんなで頑張る、食べるために。食料がなかったら家族が悲しむ。」

続いて、剥き出しになった幹の中身を細かく削っていきます。

今度は幹の横に沿って女性たちが一列に並び、大工道具の釘抜きを巨大にしたような、ツルハシのような形の鉄製の道具を何度も振り上げては振り下ろしを繰り返しながら、黙々と人力で削っていきます。おが屑のようなボロボロの繊維質になるまで細かく粉々に粉砕します。グローバーさんも道具を借りてお手伝い。

1本のサゴヤシから採れるサグーは5人家族で3週間分だといいます。

幹を細かく砕いている間に、別の人たちがサゴヤシの葉を使って濾過器を組み立てていきます。この濾過器を使って砕いた幹からデンプンを絞り出します。

植物で編んだザルのようなものを竹を紐で縛って作った洗濯ばさみのようなものを使って固定します。そこへ細かくなった幹の破片を投入し、上から水を掛けて手で絞りながら濾していきます。ザルのような部分で濾された液体が、流しそうめんの道具のような濾過器の中を伝って流れていきます。下の方に流れていった液体に溶け出たデンプンはどんどん沈殿していきます。

グローバーさん「これ、マイケルも見たんですかね、52年前。びっくりしたんじゃないかな。」

エドゥ村長が2ヵ月前に倒したサゴヤシの残骸がある所へ連れて行ってくれました。

手斧で幹を切り裂き、樹皮を剥がすとカブトムシの幼虫のようなイモムシがたくさん出てきてよちよち蠢いています。少し黄色がかった乳白色のサゴゾウムシの幼虫です。親指の先くらいの大きさがあり元気よくモゾモゾと動いています。サゴゾウムシの幼虫は彼らにとって貴重なタンパク源だといいます。

エドゥ村長「さあ食べてみろ。マカン(旨いから)!」活きがいい幼虫を差し出してくれました。

グローバーさん「うわっ、動いてる、動いてる!」一瞬躊躇いながらも勧められるがままに意を決して摘まんで豪快に口の中へ。ぷりぷりっとした幼虫を思い切って歯で噛み切ります。「白子みたい!・・・あ、結構美味しい!」

たっぷり30~40匹ほどの収穫で、サゴヤシの葉っぱで作ったお皿の上に幼虫がてんこ盛りになりました。大漁です。

木を切り倒してから3時間後、全ての幹を絞り終えて、沈殿したデンプンがお豆腐のように真っ白い固形物になっていました。サグーの完成です。運びやすいように塊に切り分けて持参した袋の中に入れていきます。

真っ白い煉瓦のようなサグーの塊を両手で抱えたグローバーさん「チーズの塊より重いですよ、ぎっちり!」

帰り道、村長がビスポールを作る聖なる木「トー」の巨木の前に案内してくれました。

トーの幹は天高く真っ直ぐに上に向かって伸びていて、根の部分は大地を鷲掴みするようにいくつも横に張り出し、広がっています。まるで生命の源であるこの森の守り神のような巨木です。

エドゥ村長「この根っこがビスポールの上の部分だ。根は大地と繋がり、パワーを直接もらっている。だから一番大切な部分を作るんだ。」

 

滞在3日目、最後の夜、翌朝は日本に帰る日です。

エドゥ村長「よく頑張った。アスマットにとってビスポールの儀式は最も大切な儀式だ。外部の人間に見せたことはない。でも今回は特別に儀式をしてビスポールを立ててあげよう。明日の朝、迎えに行く。長老たちにお礼を言いなさい。」

グローバーさん「テレマカシ(ありがとうございます)」長老たち一人一人のところに行って挨拶をし、握手を交わします。

≪門外不出のビスポールの儀式≫

翌朝7時、伝統衣装に正装したエドゥ村長が迎えに来てくれました。

精霊の家では、鳥の羽根の頭飾り、顔に白や茶色の化粧、首にはビーズの首飾りの長老たちがすでに祈りの言葉を唱えていました。

太鼓の音が鳴り響き、一斉に歌と踊りが始まりました。日本のお経のような響きです。

村長が顔に白い粉を塗ってくれました。

エドゥ村長「ビスポールを運ぶのを手伝ってくれ」

男たちが低い雄叫びの声を上げながらビスポールを抱えて外へ運び出します。グローバーさんも一緒に手伝います。

精霊の家の前に設置された櫓の竿の部分に、2本のビスポールが立てられ、しっかりと紐で固定されました。

櫓の上で村長たちが踊ります。櫓の下でもビスポールを見上げて踊ります。

ビスポールが目の前にそびえています。特別な日の特別な時間をアスマットの人々と共有することができました。

 

村に別れを告げた後、マイケルが消息を絶った現場に向かいました。

マイケルが乗ったカヌーは移動の途中で転覆し、カヌーに掴まったまま、強い引き潮で沖まで流されてしまいました。マイケルは同行者を残し、助けを呼ぶため岸まで泳いでいこうとしたのだそうですが、そのまま二度と帰ってくることはありませんでした。

グローバーさん「どうにか助かって自分の故郷、家族の所に帰りたかったでしょうね。伝えたいこともいっぱいあっただろうし。ビスポールというあの大きな彫刻美術そのものを、ただコレクションとして見せたいということじゃなかったと思うんです。あれを持って帰ってみんなに見せることで、その土台(根底)にあるこの島の人たちの考え方とか、暮らしとか、文化とか、その彫刻を作っている人間(アスマットの人々)のあり方みたいなものを伝えたかったんだと思うんです。僕が感じたことで(いつか天国のマイケルと)何か話し相手になれたらいいなと思います。」

水平線の彼方から大きな入道雲が湧き出して空に浮かんでいました。

ニューギニア島には半世紀前にマイケルが目撃した世界が今も息づいていました。マイケルの探検は、人には人の数だけ大切な家族や守るべきものがあることを世界に伝えたに違いありません。

 

ニューギニア島の人々は自分たちの文字を持たなかったために、現在昔話や伝説が消えてしまいそうな危機的状況にあるそうです。そこでニューギニアの文化を保存して後世に残すため、日本人があるものを作ってニューギニアの学校に贈りました。

それは日本生まれで戦後間もない頃に発展したものです。

 

【クイズ3】
ニューギニアの文化を保存するために使われる日本ゆかりのものは?
→紙芝居

ジャヤプラのSMK1(第一実業高校)では紙芝居を使った授業が行われています。しかも日本語です。

グローバーさん「みんな、紙芝居の授業好きですか?」

生徒たち「バグース!(最高!)」

6年前、東北文教大学と山形パプア友好協会がパプア州と共同でニューギニアに伝わるおよそ30の民話を収集し、そのうち5つを紙芝居にしたのだそうで、日本語教育にも役立てられているそうです。

「MANER MAKERI(まなるまけり)」
「BATU YANG ANEH(ふしぎな石)」
「SUNGAI MARUWAI(まるわい川)」
「Burung yang Tidak Berbahagia」
「SEKFAMNER(セクファムネル)」

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コメント

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  1. 2013年 7月 11日

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