ティビダボのレトロな空中遊園地(バルセロナ) Tibidabo

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Amusement Park Ride

2013年6月22日放送「世界ふしぎ発見!」(第1279回)は、「Las alas! 翼よ! スペインに羽ばたく日本人」(特任ミステリーハンター:今井翼さん)でした。

 

 

≪今井翼さんイチオシのとっておきバルセロナスポット≫

スペインが世界に誇る芸術の都バルセロナ(Spain Barcelona)を愛して止まない今井翼さんは、7年ほど前フラメンコを学ぶためにこの地を訪れて以来、すっかり虜になったのだそうで、20回以上もスペインを訪問、スペイン語も習得し、2012年には世界初のスペイン文化特使に任命されたのだそうです。

(TSUBASA IMAI LHTOUR 2011 Dance & Rock Third Floor ~ DiVeIN to SExaLiVe)
(セルバンテス文化センター東京)

今井さんが観光客には知られていない、とっておきのバルセロナを教えてくれました。

今井さん「どうしても皆さんにご案内したい場所があるのでこれからお連れします。」

スペイン最古の木造路面電車に乗り込みます。1901年製でバルセロナの人々の足として長く愛されてきた交通機関です。

観光エリアから遠ざかり、さらに標高512mのティビダボ山(Tibidabo)にあるスペイン初のケーブルカーに乗り継ぎます。

ケーブルカーで山に登った先にあったのはティビダボ遊園地(Tibidabo Amusement Park)です。回転ブランコやジェットコースターなどの乗り物があります。

ティビダボ遊園地はティビダボ山頂に作られた創業1901年のレトロな空中遊園地で、やって来るのはほとんどが地元の人たちでバルセロナっ子のデートスポットになっているのだそうです。なんとなく日本でいうと、よみうりランドみたいな雰囲気がします。

今井さんのイチオシの乗り物は、立ち乗り観覧車、もしくは回転シーソーのような形の乗り物です。長いアームの先に立った状態で乗り込むバスケットが付いています。アームが回転し始めるとバスケットが地上高くまでどんどん浮かび上がっていきます。眼下にはバルセロナ市街地がどんどん広がっていきます。

今井さん「あ、もう頂上じゃないですか?若干曇っているのがもったいないですけど、この景色ね。ここがお薦めです。」

晴れていればバルセロナの街を一望のもとに見渡すことができ、さらにその向こう側には青い地中海が広がる大パノラマの景色が眼前に広がる素晴らしい眺望です。

古くから地中海交易の要衝として発展してきたバルセロナの街、その背後にはピレネー山脈を抱き、この美しい海と山の間に独自の文化を凝縮するように築いてきました。

 


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≪日本とスペインの交流400周年を迎えて≫(在スペイン日本国大使公邸)

在スペイン日本国特命全権大使の佐藤悟さん「6月から始まる日本とスペインの交流400周年に協力いただけるということで心強い限りです。お名前の通り翼を大きく広げて日本とスペインを繋ぐ架け橋になって頂きたいと思います。宜しくお願いします。」

今井さん「チャンスを頂けるのであれば必ずお力になりたいです。」

今年は日本とスペインにとって特別な年です。

遡ること江戸時代、一人の侍、支倉常長(はせくらつねなが、1567-1622年)が率いる慶長遣欧使節団が海を渡りスペインの地に降り立ちました。慶長遣欧使節団はちょうど400年前の1613年(慶長18年)、伊達政宗の命を受けて日本人初のヨーロッパ外交使節として日本を出発したのでした。

(慶長使節船「サンファンバウティスタ号」(震災前):宮城県 慶長使節船ミュージアム)

 

文部科学省は2013年6月19日、歴史的に貴重な文書や絵画を対象としたユネスコの世界記憶遺産(MoW: Memory of the World)に、400年前に仙台藩主の伊達政宗がスペインなどに派遣した使節に関する「慶長遣欧使節関係資料(けいちょうけんおうしせつかんけいしりょう)」と平安時代中期の貴族・藤原道長の現存する国内最古の自筆日記である「御堂関白記(みどうかんぱくき)」が登録されることになった、と発表しました。日本国内からは2011年の「山本作兵衛炭鉱記録画・記録文書」(福岡県田川市などの推薦)に次ぐ登録になります。

「慶長遣欧使節関係資料」と「御堂関白記」はともに日本の国宝に指定されていますが、2013年3月、日本ユネスコ国内委員会として(日本政府として)初めてユネスコに推薦されたものです。2013年6月18日から6月21日まで光州(韓国)で開催された第11回ユネスコ記憶遺産国際諮問委員会(IAC)の審議を経て、このたび、ユネスコ事務局長により、ユネスコ記憶遺産として「登録」が決定されました。

「慶長遣欧使節関係資料」は日本とスペイン両政府が共同でユネスコに推薦しました。日本側の資料は1613年に伊達政宗が派遣した仙台藩士・支倉常長(はせくらつねなが)が持ち帰ったローマ市民権証書、常長とローマ法王パウロ5世の肖像画の計3点で、証書には常長に市民権を与えるほか、貴族にするという内容が書かれています。スペイン側は常長がスペイン国王に宛てた書状など計94点に及びます。

 

支倉率いる使節団が訪れたモンセラート修道院

今井さん「支倉氏一行の国際交流から関係ができたわけで、その中で今、日本人がスペイン・バルセロナで活躍している姿は誇りを持てる。」

スペイン人が最初のサムライ支倉常長と出会ってから400年が経ち、時空を超えて二つの国の架け橋となる日本人を追いかけます。

 

サンドウィッチマン(伊達みきおさんと富澤たけしさん)の大使自慢

みやぎ絆大使(むすび丸と記念撮影):宮城県の観光大使
楽天イーグルス応援大使:始球式を7回やりました。7回とも打たれました。不思議と打ってくる。
松島町観光親善大使
喜久福親善大使(おキクさんと記念撮影)
富士つけナポリタン親善大使:静岡県富士市 富士つけナポリタン大志館にロケに行ったらなってくれって頼まれてなりました。

草野さん「やはり大使といえばユニセフ親善大使の黒柳徹子さんですよね」

黒柳さん「南スーダンに行って来ました」

 

≪世界遺産の現場を支え続ける日本人≫

日本からローマを経由して14時間のバルセロナには世界に誇る芸術があります。

どこまでも続く大行列の先にある世界遺産こそが、サグラダ・ファミリア聖堂(聖家族教会)です。建築家アントニ・ガウディ(1852-1926年)がここで寝泊まりしながら製作にその生涯を捧げた大聖堂です。

スペインを訪れる度にサグラダ・ファミリアに来ているという今井さんが、その荘厳な建築美を楽しめる絶景スポットに案内してくれました。

今井さん「(特等席が)ちょうど空いてる!この水面にサグラダ・ファミリアが鏡のように映るんです。僕はバルセロナに来ると必ずずっと眺めていて、力強さを感じるんです。」

教会の北東に位置する公園 Plaça de Gaudí では、池の水面にサグラダ・ファミリアの姿が反射して、逆さ富士ならぬ逆さファミリアを眺めることができます。さすがスペイン通! まさに絶好のビューポイントです。さらに19:30、夜間ライトアップが、毎日、数時間(2〜4時間)行われています。

 

見事な彫刻が施された生誕のファサードへ

今井さん「皆さんもご存知かと思いますが、外尾さん※という日本人の方が主任としてやられていて、本当かどうか分からないですが、ファサードの顔がよく見るとアジア人に見えるってことで、ヨーロッパの人たちにはウケているという逸話もありますよね。」(※サグラダ・ファミリアの主任彫刻家の外尾悦郎さん)

内部へ

今井さん「ここがサグラダ・ファミリアの内部です。教会なのに開放感を感じるんです。一本一本の柱を見てもガウディは自然や植物をモチーフにしていることから教会の暗さは感じず、むしろ大自然の中にいるかのようなものすごい開放感がある。素晴らしいです。」

2009年当時の写真ではまだ工事現場の足場が組まれたままで長らく建築中だった大聖堂ですが、その後ステンドグラスなどの装飾が入って3年前にようやく現在の美しい内部の姿が完成したのだそうです。

25年前、14年前、5年前・・・、製作開始から120年以上が経過してサグラダ・ファミリアはガウディが思い描いた姿形を現し始めました。

サグラダ・ファミリア建築を支えている日本人に会いに行く

今井さん「日本人の方が働いているのはどちらですか?」

サグラダ・ファミリア広報担当のアナ・ベジョルビーさん「通用口の先の裏手にいますよ」

アナ・ベジョルビーさんの案内で観光客は立ち入り禁止の区域に入ります。建築現場のためヘルメットを着用します。エリア内ではいずれ建物に取り付けられるであろう彫像もすぐ間近です。

寺下昇平さんは13年前に模型担当としてサグラダ・ファミリアの建築に携わり始め、現在は木工部に在籍されていて、柱などを実際に形にしていく技術者として活躍中なのだそうです。

金属の扉とシャッターを引き上げるとそこに現れたのは屋外に設置された荷物運搬用エレベーターでした。金網から外が丸見えのエレベーターに乗り込んでぐんぐん高い上階へと移動していきます。

寺下さんがサグラダ・ファミリアへやって来た理由は?

寺下さん「ここへ来る前、僕は映画の特撮の仕事をしていたんです。」

「パンズ・ラビリンス」は寺下さんが製作スタッフとして参加した映画です。怪物の特殊技術などを担当してきたのだそうで、映画の製作現場で培ってきた造形力が買われて、模型主任から声が掛かったのだそうです。「パンズ・ラビリンス」のエンドロールには Equipo Efectos Especiales Maquillaje/Animatronic の担当者の中に Shohei Terashita の名前が確かに入っていました。

さらに足場で組まれた階段を上り、大聖堂ホールの真上、地上60mの高さにあるキリストの塔へ

寺下さん「13年前に初めてサグラダ・ファミリアに来て働き出した時に、25分の1の模型を担当して作ったのがここの部分なんです。」

寺下さんの模型を基に建築が始められ、13年経った今、ようやく現実のものとなったのでした。

寺下さん「キリストの塔」の内部を指します。「これ、すり鉢状になっていますよね。そして段々が付いていますよね。ここはキリスト教の議事堂(会議室)なんです。」

地上60mの場所に司教たちが集まる空中会議室ができるのだそうです。

サグラダ・ファミリアで現在出来上がっているのは全体の7割ほどだといいます。今はガウディ没後100年を迎える2026年の完成を目指して急ピッチで工事が進められているのだそうです。

寺下さん「たぶんできるんじゃないですか。このリズムでいったらたぶんできると思いますよ。」

今井さん「こうして日本人の方がサグラダ・ファミリアでコツコツと仕事をされているのは誇りです。」

ガウディの遺した壮大な夢が叶う日も近いです。(完成予想図:Pere Vivas. Traiangle Postals)

今井さん「サグラダ・ファミリアの建設が着工されて、ガウディの思想や思いが時代を超えて現代の人たちが魂として受け継いで一つ一つの作業が進められているというのは、歴史が生きていると思う、止まっていないんですよね。」

夜間照明によって夜空に浮かび上がるようにライトアップされた姿も素敵です。

 


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【クイズ1】
ガウディがサグラダ・ファミリアで働く職人の家族のために作った施設とは?
→学校

施設の入り口には「Escoles(エスコレス = 学校)」の文字が書かれています。

サグラダ・ファミリア木工部の寺下昇平さん「ここはサグラダ・ファミリア小学校です。当時はこの周りに結構たくさんの職人さんが住んでいたと思います。その人たちの子どもはこの小学校に通っていたと思います。」

ガウディは当時地位が低かった職人の子どもたちに教育の機会を与えることで、将来への希望を持たせたのだそうです。ここで学び成長した子どもたちの多くが、その後サグラダ・ファミリア建築に関わる仕事に就いたのだそうです。

職人たちは希望を持って仕事に打ち込むことができたそうです。

 

 

≪スペインの美食家たちを驚かせる日本人≫

今、スペインでは空前の美食ブームが起きていて、ヌエバ・コッシーナ(新しい料理)と呼ばれているそうです。

その美食ブームの最先端を行く街バルセロナで一際注目を集めているお店があるといいます。

今井さん「すごくお薦めでいつか徹子さんをご案内したいと思っている。」

Koy shunka(旬香)のシックなエントランスを抜けて店内へ入っていくと、平日の夕方にも関わらず既に満席です。

今井さん「すみません、こんばんは、なぜこのレストランがお好きなのですか?」

男性客「ここはプロの料理人の友人から是非にと薦められて気に入ったお店なんです。」

男性客「ここのオーナーは日本食をスペインで広めた立役者で、バルセロナではすごく有名人だよ。」

Koy shunka のオーナーシェフ 松久秀樹さんは、総勢42名のスタッフを指揮しています。

松久さん「一発目からコーヒーを始めてもらいます」透明なカップに入ったスープの上部にはカプチーノのように泡が重なっています。先付けのメニューは「Cafe?」となっていますがどういうことなのでしょうか・・・飲んで納得。

松久さん「じつはコーヒーに見立てた味噌汁(ミソスープ)なんです。ジョーク代わりに味噌汁を一発やってもらうという趣向です。」

スペイン西部の海で採れるという貝カメノテには、炭火で焼いたスペイン産ホワイトアスパラガスとともに鰹節を振り掛けます。海の旬と山の旬を味わいます。カメノテは手で引っ張って中身を取り出します。

今井さん「ヤバいです。いや日本語がおかしいですね。最上級に美味しいです。」

ご両親が愛知県豊田市で寿司屋を経営され、松久さんは2代目を継ぐべく修行をしていましたが、24歳の時に初めてスペインを訪れ、たまたま立ち寄った市場でスペイン食材の豊富さに魅了されてそのまま移住を決意し、4年後には自分のお店を開いたのだそうです。開店時28歳。

松久さんがスペイン人に自分の料理を味わってもらう上で大切にしていることは、地元食材の旬を活かすことと、和食の奥深さを知ってもらうことなのだそうです。ハポン メディテラーニ(Japon Mediterranean:地中海和食)というこだわりの呼び方を付けたほどだといいます。

スペイン産イベリコ豚と地中海産ナマコのにゅうめん

地中海と和食が出会って生まれた松久さんの地中海和食は、その新しさと味の確かさが認められて、2013年レストランガイドの最高峰とされるミシュランの1ツ星を獲得したのだそうです。

また松久さんの名前を一躍有名にしたのが、「Hideki Matsuhisa Chef del Koy shunka」のクレジット入りで出演したビール Estrella Damm Mediterraneamente のCFでした。(Grupo Damm is one of Spain’s top beverage industry companies.)

このCFでは大海原に浮かべた1隻の漁船の上を舞台に、人気サッカーチームFCバルセロナのスーパースターであるセルク・ファブレガス選手らに寿司を握って振る舞う料理人(東洋の板前/寿司職人)役として登場しました。松久さんの料理の味に惚れ込んだ選手からの熱いオファーによって実現したCM共演だそうで、スペイン美食界で最も注目されるシェフなのです。

松久さん「これから旬になってきたマグロです。」

今井さん「(大トロ)めちゃめちゃ旨いです。最高に美味いです。」思わずカメラマンさんにもお裾分け。

美味しさだけではなく、刺身が盛り付けられた白い陶磁器のお皿には、実は日本列島の形に窪みが入っていて、その窪みの部分に刺身、わさび、醤油が盛り付けられていたのでした。食器にも意外な演出で、スペイン人の陶芸家に特注したお皿だそうです。舌鼓を打ちながら日本のことも知ってもらいたいという思いが込められているそうです。

国旗の日の丸をデザインし、中央に丸い窪みが付いた四角いお皿には、牛フィレ肉の味噌ソースがけが盛り付けられました。

松久さんの探究心を刺激し続けているのが、ボケリア市場(サン ジョセップ市場)に並ぶスペインの豊富な食材です。色鮮やかな海の幸が並びます。海に面するボケリア市場には地中海の恵みである新鮮な魚介類が多く、さらに山の幸も豊富に並んでいます。バルセロナの北部にはピレネー山脈がそびえていてアミガサダケなど珍しいキノコも手に入るそうです。

大の料理好きの今井さん「ものすごく料理したくなってきました」

今井さんの男の料理
シーフードカレー
イカめし
パエリア
春キャベツのパスタ

スペイン食材に感動した今井さんが、松久さんの厨房をちょっと拝借して料理開始、さっそく茹でたキャベツを使い手際よくあっという間に「エビとホタテの冷製ロールキャベツ キャビアのせ」を作り上げました。

今井さん「ド素人の料理なんで辛口コメントをお願いします」

松久さん「美味いです。イケると思いますよ。」

≪新メニュー開発の舞台裏へ≫

さてスペインの食材に惚れ込み地中海和食を作り上げる一ツ星シェフの松久さんは、次にどんな新しい味を生み出そうとしているのでしょうか?

挑戦している和の食材がお餅なのだそうです。

松久さん「スペイン人にお餅はダメですね。」

粘りが強くて独特の噛み応えを持つお餅に、スペイン人の多くは拒否反応を示したそうですが、それなら粘り気を弱めたらどうかと考え、もち米ではなくうるち米を使ってお粥状にしたものをさらにハンドミキサーでかき混ぜます。

松久さん「ゆるいお餅みたいな感じになります」

そこに和の風味「抹茶」を入れてさらにハンドミキサーでかき混ぜます。ほんのり薄い緑色をした新たな解釈の”お餅ソース”です。

松久さん「これがスペインのお客さんにウケるかウケないか、そこの話はまた別」

盛り付けは、塩気の効いたイベリコ豚の上に先ほどの抹茶風味のお餅ソースをかけ、その上に旬を迎えた地中海産のサルモネ(ひめじというスズキ目の海の魚の仲間)をあしらいます。最後はあくまで和風にこだわり、鰹だしのスープをかけて味付けです。スペインで生まれた新しいお餅料理の完成です。

松久さんは新しいアイデアが生まれると新メニューがスペイン人の舌に合うのか、必ず常連さんに食べてもらい意見を聞くそうです。

松久さん「さあ、お口に合うかどうか、試して頂きましょう。出汁(ダシ)の準備をしますね、ひと味違うダシですよ。なんておっしゃるかな?ちょっと変わっている料理なんですけど。かなり熱々ですよ。包んでいるのは餅です。」

松久さん流のヌエバ・コッシーナ(新しい料理)ではアルコールランプ式のサイフォンを使って鰹だしに風味と香りをプラスします。

大学で教鞭を執る美食家のミゲル・アンヘル・ブレトネスさん「餅は良いよ。固くもないし柔らかすぎもしない。食感は大丈夫。一つだけ言わせてもらうと、餅を豚肉と魚の両方で挟んでいるよね。でもこの豚は脂が強すぎてせっかくの餅がちょっと脂っぽくなっている。魚だけにした方がいいんじゃないかな。」

このようなやりとりに改良が重ねられて新メニューが完成していきます。

スペインの地で奮闘する松久さんが地中海和食で伝えたいものは、何なのでしょう?

松久さん「寿司、刺身、天ぷらというのは彼らは知っているんですけど、この頃やっとダシという言葉を覚え始めたところなんです。今後10年、20年という年月をかけて日本食という文化のもう少し奥をスペインの方々に理解してもらえたらいいなと思っています。」

地中海ボタンエビとこんにゃくの天ぷら

男性客「Tres tres bon!(とても美味しい!)」

日本とスペインの味の共演、そこには日本の技で新しい味を生み出そうとする料理人の熱い情熱がありました。

 


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和食と同じように今スペインで愛されている日本文化があるといいます。

その日本から伝わって流行しているものについて、今井さん「なぜそれが流行っているんですか?」

青年「面白いし同時にとても難しい。だから精神の鍛錬にも役立つんです。」

対戦したりするそうです。

 

【クイズ2】
日本から伝わりスペインで流行しているものとは?
→囲碁

スペインでは各地に囲碁クラブがあって大人気なのだそうです。

全国大会には150人が参加するといいます。

青年「日本のマンガ『ヒカルの碁』(原作・ほったゆみ 漫画・小畑健 集英社刊)がスペインで大流行したんだ。」

囲碁に興味を持つ人が急増したのだそうです。

 

 

≪カタルーニャ地方の伝統を見つめる日本人≫

バルセロナが位置するスペイン北東部のカタルーニャ地方は、スペインの中でも特に郷土愛が非常に強い土地なのだそうです。

 


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バルセロナのボネット イ ムジー広場ではカタルーニャ地方で何百年も続いてきた伝統のお祭りが開催されていました。

見物の女性「今から大勢の人が『カステーイ』と呼ばれる人間の塔を作るの」

日本で学校の運動会や体育祭などで行われる組体操(組み立て体操)とよく似ていますが、このフェスティバルは熟練の域に達した曲芸に近い雰囲気です。カタルーニャ地方を代表する伝統行事の一つです。

直立した状態で下の段の人の肩の上に立ち上がり、さらにその人の肩の上に次の人が立ち上がり・・・それが4段もの高さまで伸び、おそらく一番上では地上6mはあろうかという高さの人間の塔「カステーイ」が、絶妙なバランスを保ったまま広場を練り歩いています。時にはバランスを崩して塔が倒れることもありますが、周りの人々が殺到して地面に落下するのを守ってくれます。

人間の塔「カステーイ」は高さ15mにも達するものもあり、別名で人間の城とも呼ばれます。

まず屈強な男たちが集まって土台を作ります。その上に2段目から上を作る人たちが次々と乗っかっていきます。塔が高くなるにつれて女性や身軽な子どもたちが、人で出来た塔を上へ上へとよじ登っていきます。最後は頂上に登った人が直立し、腕を水平に広げて合図を行って完成します。カステーイの完成はまさに一瞬のタイミングです。

ドキュメンタリー写真家の森本徹さんがそのシャッターチャンスを狙ってカメラを構えています。

森本さん「(カステーイの)頂点がほんの一瞬じゃないですか。出来上がるのも瞬間で。小さな子どもがてっぺんに登ってパッと手を上げて」

頂点が極まった一瞬が終わるとカステーイの塔はあっという間に解体して跡形もなく消えてしまいます。その様子が日本の花火のように刹那的に思えて森本さんは心惹かれたのだそうです。

森本さんは20代の頃、ケニアの新聞社で報道写真を撮り始め、その後アフリカ各国で内戦や紛争地域に生きる人々を記録してきました。その写真はアメリカの著名な新聞にも掲載されてきました。

(ナイロビ アメリカ大使館 爆破1周年記事「ケニアでの傷口は未だ悪化したまま」(1999年 Los Angeles Times))
(シエラレオネ ゲリラに囲まれた村から栄養失調の子どもを輸送(2000年 Toru Morimoto for The New York Times))
(コンゴ民主共和国 大統領暗殺の数日後 市内を巡回する兵士(2001年 for Time Magazine))
(コートジボワール 民衆蜂起による軍事政権崩壊記事(2000年 The New York Times))

生きるということをテーマに人を撮り続けてきました。

人間の塔から放たれる独特のエネルギーをカメラで捉えていきます。

カステーイ(人間の塔)参加者の男性「この人間の塔には見た目の美しさ以外に、もっと重要なことがあるんだ。村全体が一つのチームになり小さい子どもから70歳までみんな一丸となって力を合わせて目的を成し遂げる。目に見えないものだけど、その団結力こそカタルーニャを象徴しているんだ。」

森本さん「べつに頂上に登る人だけが偉いんじゃなくて、一番下で支えている人たち、社会もそうやと思うんですけど、そういう人たちがいるからこそ、一人が上に登れるんだと思いますし。東日本大震災後によく使われた絆という言葉とたぶん似ていると思います。人と人が繋がって何かをするというものだから。」

この人間の塔は2010年に世界無形文化遺産に登録されたそうです。

兵庫県明石市出身の森本さんが開いている「AKASHI GALLERY」は日本人アーティストの作品を展示しているカフェ・ギャラリーです。森本さんが写真ギャラリーで今取り組んでいることは、スペインの人にも日本の文化を紹介したい、それはステレオタイプの日本ではなく、日本の持つ素顔を知ってもらいたいという思いから、日常風景や普通の人を捉えた作品を展示していて、それがスペインの人々の間で評判となったのだそうです。

(写真集「Japan/日本」)

写真展の様子(ジャパン・フォト・プロジェクトのブログ)

今井翼さん「森本さんは、なぜスペイン・バルセロナの地を選んだのですか?」

森本徹さん「カタルーニャ独特のヒューマニズムです。歴史の中で悲劇があったから人たちだからこその優しさを持っていると思うんです。」

カタルーニャが辿った悲劇の歴史とは、1930年代にスペイン内戦が勃発し、アドルフ・ヒトラーの後ろ盾を得たフランコ将軍(フランシスコ・フランコ)が軍事クーデターを起こしました。フランコ総統の独裁政権はファシズムを掲げて地方を抑圧し、国家統一を図りました。元々スペインは地方色豊かな国です。特にカタルーニャ州は特有の言葉「カタルーニャ語」を持ち、郷土愛が強い土地でしたが、フランコ総統はそのカタルーニャ語の使用禁止を命じました。最後まで抵抗したカタルーニャは力で押さえ込まれました。(カタルーニャ州旗)

フランコ総統の死後、ようやく自分たちの文化を取り戻したカタルーニャの人々には自分たちの言葉も返ってきました。現在、案内標識にはスペイン語とカタルーニャ語が併記されています。そのような弾圧の歴史を持つため、この土地の人々はカタルーニャ人であることに誇りを持ち郷土愛を燃え上がらせるのだといいます。(Unida:一致団結、絆)強い団結心を持ち土地の伝統を受け継ぎ守り抜くという血が、脈々と流れているのです。

 

バルセロナの裏路地でカタルーニャの郷土愛を物語る不思議なものを発見!

青春時代をバルセロナで過ごしたピカソの等身大人形が店先に佇んでいます。但し人形の頭部は被り物のため大きくて4頭身くらいです。

お店の看板には El Ingenio fabrica de Maniquies Gigantes Cabezudos Bromasなどの文字に、店先には「El Ingenio(ウイット)」の文字。店内のラックには人や動物の頭部を模った楽しげな仮面が所狭しと並べられています。

今井さん「あの大頭の仮面は何に使うんですか?」

マスク店「エル・インヘニオ(El Ingenio)」オーナーのロサ・カルドーナさん「見たい?被ってみる?下に降ろしましょうか?お祭りで使うのよ」

今井さん「あの右の、(仮面の表情が)だいぶ酔っ払った感じですね。」脚立を使って陳列棚から降ろしてもらった大きな仮面をロサ・カルドーナさんから受け取り、頭の上から肩まですっぽりと被ります。「これ全然前が見えないんですよ。」

ロサ・カルドーナさん「それはカタルーニャ伝統のお祭りで使う仮面なのよ」

祭りが開催されるカタルーニャ北部の地中海沿いの街カレージャ(Calella)を訪ねました。

 


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今井さん「お、何か見えてきましたね。なるほど、マスク屋さんで見たものが集まっています。間近で見ると結構大きいですね。」背の高い巨大な人形がたくさんいます。

これは年に一度開催される巨大人形祭りで、カタルーニャ州の村々からジャイアントと呼ばれる身長4~5mもある巨大な人形が大集結する巨人の祭典です。開催地は各村の持ち回りになっていて毎年変わるのだそうです。

この巨大人形の多くは、キリスト教の聖人や地元で語り継がれる英雄などがモデルとなっていて、中世の時代から庶民の文化として愛されてきたのだそうです。日本でいうと御神輿のような感覚なのでしょうか。

今井さん「この中どうなっているのでしょうか。ここに肩を当てて担いで歩いて行くんですね。」

人形の下半身のローブをめくると脚立のような形の台座がありました。担ぐ人が中に頭を入れて肩をはめ込むようになっています。これで人形の台座を肩車のように乗せて歩くのです。

巨大な人形が軽快な音楽に合わせてなんとも軽々と身軽に回転しながら踊っています。

今井さん「力がないと出来ないですね」

人形を操っていたスペインのつのだ☆ひろさんが登場。屈強な体つきです。「重いぜ、75kgもあるから」

見上げるほどの巨人ばかりかと思いきや、小さな人形も軽快なステップを踏んでいました。

今井さん「ちっちゃい、すごくかわいい、(頭部が大きく)2.5頭身くらいですね」

人形が飴をくれました。

小さな可愛い仮面を脱ぐと出てきたのは、笑顔が素敵な年配の女性でした。「毎年欠かさず被っているの。カタルーニャ人なら当然よ。私が仮面を脱ぐと『あーっ、ちっちゃいお婆ちゃんが出てきた!』って、みんな喜んでくれるのよ。」

集結したジャイアントたちがカタルーニャの民族音楽に乗りながら軽快に身を躍らせて街を練り歩いていきます。この祭りでは巨大人形だけで300体以上が大集結するのだといいます。

カレージャの広場がカタルーニャの140もの村々から集まってきた大勢の人々で埋め尽くされています。

巨大人形祭りは次の村へのバトンタッチで締めくくられます。来年の開催地になる村へ引き継ぎが行われました。こうしてカタルーニャの伝統が受け継がれていくのです。

 

巨大人形が海を越えてスタジオに登場しました。

取材したマスク店「エル・インヘニオ(El Ingenio)」にてオーダーメイドで製作された、特注の「黒柳徹子さんの巨大人形」です。

人形の身長は3mです。

黒柳さん「顔が(南海キャンディーズの)しずちゃんに似てる。でも頭の玉ねぎの形は私だと思います。ティアラを着けていていてすごく良いです。お洋服もすごくいい色使いで可愛い。お花も付けているところも私らしい感じがしてとても可愛いと思います。でもこんな人が向こうから来たら驚きますね。」

富澤たけしさん「この人形は(出番が)終わったら(カタルーニャへ)帰るんですか?」

草野さん「いえ、もう帰らなくてよさそうですね」

野々村真さん「黒柳さんの家に帰るんですよ」

 

1992年に開催されたバルセロナオリンピックではスペイン語の他にカタルーニャ語が公式な言語として採用されて話題になったのだそうです。

バルセロナオリンピックスタジアムにて

バルセロナ五輪の際に、選手が気分転換し良い成績が残せるようにとあるものが作られました。

 

【クイズ3】
バルセロナ五輪で選手たちのために人工的に作られたあるものは?
→ビーチ

バルセロナは元々地中海交易の要衝として栄えた港町で、バルセロナ五輪を機に開発されて競技会場や選手村になった臨海地区を利用して作られたのが、長さ4kmにもわたって続く砂浜が美しい人工ビーチでした。

当時は選手専用だったそうですが、今はバルセロナの人々にも利用される憩いの場になっていて、太陽の下で思いのままに過ごす場所として、地元の人たちに愛されているのだそうです。

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コメント

    • k-co
    • 投稿日 (Posted on):

    サグラダ・ファミリアといえば、松下奈緒さん主演の映画 未来予想図 〜 ア・イ・シ・テ・ルのサイン 〜 を思い出すなぁ

    • k-co
    • 投稿日 (Posted on):

    みなさんは“かつお節”を削ったことはありますか?
    私はありません。
    なので、いつか体験してみたいと思っていますが、なかなか削り器を持っている人が知人・友人におりません。
    削りたてのかつお節は、風味がとても良いと聞くので、味わってみたいものですね。
    削るといえば、大工さんはカンナの扱いが上手ですが、かつお節削りは上手なんでしょうかね? 気になる・・

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