スイティエン・パーク

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2013年2月23日放送「世界ふしぎ発見!」(第1264回)は、「アジア新時代に咲く! 日本・ベトナム交流秘話」(ミステリーハンター:岡田 茉奈(まな)さん)でした。

 

2013年は日本とベトナムの国交樹立(日越国交正常化)40周年です。

 

ベトナムのホーチミン郊外にあるスイティエンパークは東京ディズニーランドとほぼ同じ広さで、50のアトラクションやプール、動物園などがあり、年間500万人が訪れる、今ベトナムの大人気観光スポットです。

世界の有名テーマパーク12選にも選ばれました。。

豚肉をぶら下げた釣り竿でワニの一本釣りが楽しめるワニ王国には22000頭のワニがいます。

噴水広場の背後には獅子の像の群れが並びます。沖縄のシーサーの姿に似ています。

収容12000人の大プールを見下ろすように巨大なおじさんの顔のレリーフ岩があります。ベトナムの初代国王Hung Vuong王だそうです。

観音様を乗せ、口に剣をくわえた巨大な亀、竜の頭の仏塔など、オリエンタルな雰囲気が漂っている様々なオブジェは、伝説や神話に登場する人や生き物がモチーフになっているのだそうです。

日本人観光客数が100万人を超える見込みだそうです。

 

 

ベトナムを代表する商業都市ホーチミンへは日本から飛行機で6時間半。

ベトナム戦争後、建国の父であるホー・チ・ミン国家主席兼首相に由来して名前が付けられたそうです。

かつてステータスシンボルだったバイクが今や3400万台も普及していて、その数は日本の3倍もあり、生活の足として必需品となっています。

ラッシュアワーにひしめくように走るバイクの多さは壮観です。

2000年の法改正で外国資本100パーセントの企業が認められるようになってから、経済成長は目覚ましくなったそうで、日本企業も1500社を超え、ここ10年でGDPの伸び率もアジア第2位になっているのだそうです。

トーキョータウンは日本人経営者が立ち上げたB級グルメのフードパークです。

牛丼、ラーメンなどのメニューの中でお好み焼き(250円)が一番人気だそうです。

 

KICHI-KICHIではまるで回転寿司?のようなシステムで1枚1枚に肉や野菜が盛られたお皿がベルトコンベアの上を移動している回転鍋のお店があり、ホーチミンの大人気です。

ベトナム人は鍋料理がお好きなようで、暑い日にクーラーがガンガンにかかった涼しい部屋で熱い鍋を食べるのが最高なのだとか。

1.5時間の食べ放題制で、目の前のスープが入った鍋の中にブン(細麺)など、目の前を廻る具材から好きな具材を好きなだけ遠慮なく食べられるそうです。

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【クイズ1】
南ベトナム名物鍋の具材とは?
→花
南ベトナムのエビなどが入った甘酸っぱい伝統鍋
具材としてカボチャ、ニラ、ユリなどの花を入れて煮込んだラウ・ホア(花鍋)があります。

 

 

400年前に遡る両国交流の歴史

フュージョン・マイヤ・ダナンはヴィラタイプのホテルで、宿泊料金には1日2回のマッサージのサービスも含まれています。

ハイアット・リージェンシー・ダナンなどもあります。

世界遺産のホイアンには、江戸時代初期から続く日本とベトナムの交流の歴史が残っています。

昔、チャンパと呼ばれる王国があり、チャンパの港ダナンには日本からの朱印船が訪れていました。

聖地である五行山(ごぎょうさん)は、ダナンの目印になっていました。

タムタイ寺には観音様の石像があり、石碑には「日本営 宗五郎」などが刻まれています。

“営”とは商人を指し、日本から来た多くの商人たちが住んでいたのだホイアンの街だそうです。

頑丈に架けられた「日本橋」の橋の基礎は当時のままで、今も現役です。

日本の商人が求めていた交易品は、沈香(じんこう)と呼ばれる香木で、金と同じ価値を持っていたそうです。

沈香に火を付けて炊くと、その貴重な香りは、爽やかで気持ちの落ち着く香り、好きな香り(岡田さん談)がするそうです。

 

 

カオ・ラウと呼ばれる汁なし麺は、うどんより少しコシが柔らかい甘い味だそうです。

このカオ・ラウは、角屋七郎兵衛氏によって伝えられた伊勢うどんがルーツであるといわれます。

バイ・キィウと呼ばれるカルタ?のようなカードゲームには、日本の飛脚や着物姿、赤ちゃんに授乳する女性などの素朴な絵柄が描かれています。

海外渡航禁止令により、1633年朱印船以外の日本船の海外渡航を禁止、次いで35年日本人の渡航を禁止されたことにより、帰国できずにホイアンに骨を埋めた日本人は200名ほどいたらしいです。

 

 

【クイズ2】
チャンパ王国から呼び名が付けられたものとは?
→チャボ
チャンパ王国がチャボの語源となった。
チャボは現在、国の天然記念物となっている。
輸入された当時は大名などの観賞用として人気を呼び、盛んに品種改良されたそうです。

 

 

友情と絆

亡命者への無償の援助に感謝を刻んだ石碑が、静岡県袋井市の常林寺に建っています。

ベトナム最後の王朝の都だったフエには、革命家ファン・ボイ・チャウの銅像が建っています。

1867年生まれのファン・ボイ・チャウは、フランスの植民地化が急速に進む中で祖国の独立を目指して活動したベトナムの英雄です。

ファン・ボイ・チャウの足跡を訪ねると、ハノイのベトナム社会科学院のグエン・チュオン・タウ先生の持つファン・ボイ・チャウ直筆の自伝に、「四月下旬神戸」と漢文が書かれていました。

当時の日本は、開国後30年で目覚ましい発展を遂げ、日露戦争で勝利していたことで、同じアジア国である日本に注目し学ぼうとしたファン・ボイ・チャウは、ベトナムの独立革命を助けて欲しいと来日し、大隈重信や犬養毅にアプローチしたのだそうです。

国際状況として武力協力・武器提供は難しい、人を育てること(人材育成)が大事だと諭されたファン・ボイ・チャウは、日本の支援を受けて、有能な若者を数多く日本へ留学させました。

1906年からの2年間で留学生はその数200人。

ベトナム人の日本への留学は東遊運動と呼ばれましたが、フランスがこれに抗議したことによって、対面的に日本はベトナム留学生に国外退去を迫ることになりました。

そんな中、救いの手を伸ばしたのが、医師の浅羽佐喜太郎(あさば さきたろう)氏で、彼はベトナム留学生を支援したそうです。

結核を患い余命幾ばくであった浅羽佐喜太郎氏はファン・ボイ・チャウと同い年であり、彼が日本を去った翌年に43歳の若さで病死。

袋井市の記念碑は、浅羽佐喜太郎氏の死後4年、ファン・ボイ・チャウが彼への感謝の気持ちを刻んで菩提寺に建てたものです。

 

1925年、ファン・ボイ・チャウは同志のグエン・アイ・クォックに会うため訪れた上海駅で、フランスの秘密警察によって逮捕されました。

逮捕後、ファン・ボイ・チャウはフエで軟禁生活を送りました。

その時近くに住んでいた孫のファン・ティ・タインさん「いつも何を食べたと声をかけてくれる親切な人だった」

「有志無才」(志はあったが力が及ばなかった)という言葉を残して、1940年10月29日、ファン・ボイ・チャウ死去。

 

独立運動は次の世代へ引き継がれ、1945年9月、第2次世界大戦で日本が降伏文書に調印した時期、ハノイにおいてベトナム独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国を建国して国家主席兼首相に就任したのが、ファン・ボイ・チャウが逮捕された時に会おうとしていた人物であるグエン・アイ・クォック(ホー・チ・ミン)でした。

 

 

【クイズ3】
太鼓の皮に貼り付けるものとは?
→お米(ご飯粒)
チョン・コム(米太鼓)と呼ばれる太鼓は、つぶした米(ご飯粒)を貼り付けて演奏します。
米を付けることにより、音が綺麗に響くといわれます。
伝統民謡ヴィーヤンの演奏で使用され、右と左で高い音、低い音を出し分けるそうです。

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